教育福島0105号(1985年(S60)10月)-049page

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ふるさと探訪

県指定重要文化財(工芸品)

銅鐘 一口

 丁

延享四卯天五月廿四日 鋳工 椎名久兵衛国光 とある

所在地 いわき市好間町川中子字愛宕東六二番地

所有者 愛宕神社

般的な近世様式である。草の間各面に陽鋳浮彫りの図柄があるのが特徴である。

愛宕神社(旧称愛宕大権現・旧別当成福院)は、平城跡の北方約一キロメートル好間川の北岸にある古墳上に祀られ、成福院跡は、そのすぐ東に隣接し、銅鐘は鳥居前の鐘楼に架けられている。この銅鐘は比較的小型で、龍頭の長軸線が撞座と平行し、乳の間に一〇八個の乳があり、撞座の蓮華文、下帯の唐草文は一般的な近世様式である。草の間各面に陽鋳浮彫りの図柄があるのが特徴である。

南面撞座の右に岩山と遠山、杉木立があり、岩山には重層の建物が見える。山城国の愛宕山の景であろう。他の三面には烏天狗-小天狗と大天狗(修験者か)が高めに鋳出する。岩山、遠山の景、佛堂杉松が陽鋳されている銅鐘は極めて例が少ない。

銘文は陰刻で第一区の大天狗(修験者か)の左右に「奥州岩城磐前郡川中子村愛宕大権現」、第二区の烏天狗の間には法華経の「願以此功徳」の四句偈、第三区の愛宕山図には「成福院住元栄延享四卯天五月廿四日鋳工椎名久兵衛国光同久次郎」、第四区の天狗図には「当村願主念佛衆中」とあって八人の名が記されている。

鋳工の椎名氏は大坂の陣後岩城に下り、各代領主に仕えた鋳物師で、本来は釜師の家柄であったから、このような文様を陽鋳したものであろう。

本銅鐘の前身として、元禄七年(一六九四)五月二四日鋳造された銅鐘のあったことが、残された銘文の写しによってわかる。それによると、同神社の銅鐘は、先ず、寛永年間(一六二四〜一六四三)に鋳造され、ついて元禄七年に重鋳されたときには、愛宕山・天狗`烏天狗等の図柄があった。その後、延享四年に改鋳するに際して、元禄の銅鐘の様式を踏襲したものと考えられる。

釜師の系譜を引く鋳物師の手によるこの銅鐘は特異な存在であり、作技もよく、旧鐘銘によって当社の社歴を知ることもでき貴重である。

ふるさとの文化財


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