教育福島0108号(1986年(S61)01月)-024page

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教育センターから

 

体育・保健体育講座

授業研究における観察授業

 

一、はじめに

 

小学校体育講座(二次)、中学校保健体育講座(二次)、高等学校保健体育講座では、体育の「授業研究」を研修内容に取り入れている。授業研究は、当教育センターが開発した「2−1−2方式の授業研究」 (紀要第39号)に基づいて「事前研究」「授業観察」「事後研究」という手順で進めている。

この手順の中で「授業観察」は、欠かせないものであり、福島市内小・中・高等学校の協力を得て、授業者を依頼して授業の提供を受けて行っている。

これらの講座で、授業を観察した受講者は、一様に、児童生徒の学習活動の豊かさに感動し、学習成果を認め、多くの意見や感想を反省記録に述べている。その内容をみると、多くの教師が、授業の質的転換を目指しながらも、多少の不安と若干のとまどいを払拭しきれないでいる様子がうかがえる。

ここでは、その意見や感想を紹介しながら、観察のために実施していただく授業(以下、観察授業と記す)の計画作成の様子などについて述べることにする。

 

二、「観察授業」への意見、感想

 

受講者は、授業研究の「観察援業」であることを理解していても、自らの授業と観察結果を対比させ多くの意見や感想を出している。その代表的なものは次のようである。

● 「指導案の作成など、大変勉強になった。優秀な生徒だからできる、そうでないから駄目、無理という考えはさけたいと考えます。参考にしながら私なりに取り組んでみたい」。

● 「大変よい指導案であった。計画、準備がよければ、授業の成功はまちがいないという例である」。

● 「○年生の女子の授業とは思えない動きと運動量にはおどろいた。また、話し合いの学習が身についており、生徒たちは、反省し協力してやろうとする姿はみられるが、どのように練習すれば、課題を解決できるか困難であると思う」。

● 「自分なりに理解はできたが学校でこのような授業をするには困難であると思う」。

● 「学級全体が、本当に、授業に自ら参加している様子が感じられ、一朝一夕にできる授業ではない。センターの研究に参加しているからこそできる授業ではないかと考える」。

● 「一斉に指導することが多くなりがちなので、より一人一人に学習が成り立つように意識して授業に当たりたい」。

 

三、 「観察授業」

 

授業者は、観察授業の指導計画を左図に示した「小単元内課題別学習の指導モデル」を基に作成している。ここの「モデル」は、学習指導の個別化「個を生かす研究」(紀要第47号)に際して、器械運動(個人的スポーツ)の指導のために作成したものであるが、今では、他の領域の指導にも十分活用できることがこれまでの授業研究を通して実証されている。

「観察授業」の計画作成当初、授業者に「モデル」の考え方を理解していただくことになる。最近は、この考え方の理解にそれほど時間を要しなくなってきている。これは、「学校や児童生徒の実態に応じた指導」、「指導と評価の一体化」、「運動の特性に応じた指導」などについて理解が深まってきていることによるものと思われる。

授業者は、「モデル」の考え方を理解した後、自校の年間指導計画に合わせ「2−1−2方式の授業研究」の様式に沿って指導計画を作成し、更に、必要な学習カードや学習資料を準備し、授業を実施することになる。

したがって、「観察授業」は、特別に準備された授業ではなく、児童生徒の実態に応じて意図的・計画的に実施している授業なのである。強いて、受講者が感動を覚えるような原因をあげるとすれば、授業者が、指導計画作成の過程において十分に授業研究の手法を理解してしまうためではないかと考えている。授業研究の手法を理解することは、指導のための評価、すなわち、授業改善のためのチェックが指導にフィードバックされ適切に機能することが認識され、更に、学習方法や学習形態などの選択や組み合わせにも自信がつき、望ましい授業の創造へ結びついていくものと考えられる。

 

四、おわりに

 

紙面構成の都合で、意を尽くせないことが多々生じた。この不足は、文中にあげた紀要を参照され意の不足を補っていただければ幸いである。

児童生徒は、教師と共に歩み、そして育つものである。小さな歩みであっても、毎日歩み続ける授業にこそ児童生徒の望ましい成長があることを銘記したいものである。

 

 

 


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