教育福島0109号(1986年(S61)02月)-057page

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ふるさと探訪

 

県指定史跡

久川城跡(伊南村)

 

−戦国の残照−

 

−戦国の残照−

典形的な山城の遺構

 

久川城は南会津郡伊南村の大字青柳と大字小塩にわたる南北約五百六十五メートル、東西約二百五十メートル、比高五十三メートルの丘陵上に所在する。東は伊南川に臨み、西は絶壁をなして、その下には滝倉沢の渓流となり、北はこれと合流した久川が麓を流れる天然の要害である。「新編会津風土記」巻四十四の青柳村の項には「久川城跡(中略)東西一町、南北四町、東西北三方に乾隍を廻す、北を本丸とし、二丸・三丸其南につづき、間に堀切あり」と記され、同書および地元の所伝によれば、古町の館に住した河原田盛次が天正十七年(一五八九)伊達政宗の来襲に備えて築城したもので、のち蒲生氏の支城となったが、慶長十六年(二八一一)に至り廃城とされたという。

現在、城跡の丘陵はスギなどの植栽が施されているが、大手とみられる南麓の石垣構えの馬出しを始め、丘陵上の空堀・土塁およびこれらによって南北の連郭式に区画された各曲輪は、おおむね往時の姿をのこしている。丘陵中央部の本丸に相当する曲輪(南西隅に稲荷神社を祀る)は東西約九十メートル、南北約五十メートルの規模を有する。

遺構の保存の良好な点、歴史的背景及び築城廃城の時期が比較的明確な点など、戦国・近世初頭の山城としてきわめて貴重な史跡と認められる。指定区域の南に隣接する字堂平の地区は城下集落跡とくに侍屋敷と推測され、その存在によって、久川城跡の史跡としての価値はさらに高いものとなっている。

所在地

南会津郡伊南村大字青柳字小丈山

同 大字小塩字丸山及び大字小塩字堂平地内

所有者

伊南村・馬場政一ほか三百十七名

 

ふるさとの文化財

 

 

 


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