教育福島0117号(1986年(S61)12月)-026page
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うM子がいた。毎日、祖母に送られ登園すると、ガラス窓に手をかけ、祖母の姿が見えなくなるまで泣いていた。「先生と遊ぼう」と声をかけても、「いや」という返事が返ってくる。「じゃ、友だちと一諸に遊ぼうか」と話かけても、相変らず「いや」という返事が返ってくるだけで、私はどうすればよいのか、どうしたら打ち解けてくれるのか手の打ちようがなく悩んだ。
そんなある日、数人の園児から、「先生は、M子ちゃんのことばかり見てるんだから!!」「M子ちゃんも、みんなと一諸に遊べば楽しいんだよ」と、不満を訴えられた時、一人の子にばかりにかかりきりになっていることに気がついた。それからは、焦らずに、M子を遠くから見守ってやることにした。そして、ちょっとしたきっかけを大切にして、話しかけたり、励ましたりして、常に笑顔で接することに努め、他の園児を仲立ちとして遊びに誘ったりしているうち、少しずつ心を開くようになり、すっかり他の子どもと同じようにふるまうようになってきた。
あれから十五年も過ぎた今の自分を考えると、慣れと経験によるものか、集団生活にとまどっている子どもがいたとしても、新任の当時のような必死の気持ちで、その子と接していない気がしてならない。一人一人の態度、行動を見つめ、大切にすることよりも、子どもたちの姿を集団としてのみ見ることを優先させ、個々の子どもをつぶさに観察したり、子どもたちの何気ない動作や態度から、心のひだを理解しようとする感覚が鈍くなってきているような気がしてならない。後になって、あの時ああすればよかった、こうすればよかったと悔やむことが多い毎日である。
子どもたちが、何事も楽しく行っていけるようにするには、もっともっと子どもたちと接して、毎日の生活の中で、子どもたちが示す考え方や行動から、私自身が一つ一つを謙虚に学ばなければならないと考えさせられるこのごろである。
これからは、いっそう子どもたちと共に遊び、共に話し合い、心のきずなを確かめながら、保育者としての資質を磨かなければと考えている。
(富岡町立富岡幼稚園教諭)
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園児たちの楽しい会話
浅草岳登山
渡辺 州
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私は高校三年の時に初めて只見にある浅草岳に登りました。その時の感動が忘れられず、ぜひとも生徒を連れて登ってみたいものだと教員になってからも思い続けていました。
会津に赴任してのはじめてのクラス担任は会津工業高校の工芸科でした。私は四月入学当初から、生徒に山に登ることの辛さ、そしてその素晴しさについて話し、浅草岳登山をホームルームの夏休み行事とすることにしました。そして学校長にも承諾を得、山岳部の顧問の先生にもアドバイスをうけて着着と計画を進めていました。
そんな六月のある日、副担任のA先生が「浅草岳に登るんなら、一度一緒に登ってみなくちゃいけないな−−」とボソッと私に言うのです。私はこの人は本気でそんなことを言っているのかと一瞬疑いました。というのは、それまで私は他の教員から本当の意味で助けられたという経験がなかったからです。それもこうしたフランクな形で。でも二人は週末に浅草岳に下見に行き、キャンプ場の仮予約、更には予定のルートを実際に登って状況を確認してきたのです。用意は万全です。
事前に生徒に何度も登山計画のプリントを渡し、いちいちの計画についての詰めをし、生徒も大変乗り気だったので、出発の一週間前の終礼の時、私は参加者の最終的な確認をしました。そうしたらなんと、参加したいと挙手
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浅草岳登頂のひととき
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