教育福島0117号(1986年(S61)12月)-049page
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博物館だより
県立博物館展示物紹介
鶴ケ城を砲撃したアームストロング砲 (復元模型)
アームストロング砲は、ライフル(施条)の技術を大砲に応用し、アームストロング(英)が一八五五年に完成しました。元込め式で長弾を使用し、格段に破壊力、射程、正確さが増大しました。日本での実戦の初使用は、一八六三年薩英戦争での英国艦隊です。
『佐賀藩銃砲沿革史』では、同藩がいち早くこれを研究して、一八六五年に第一号を製造したという。六封度砲の模型は、『沿革史』記載データをもとに、銃砲史研究家の矢野庄介先生に考証・作図して頂いて復元したものです。戊辰戦争では上野彰義隊との戦い、会津戦争で使用され、小田山から鶴ケ城を砲撃しました。しかし、現存する砲弾は十二封度砲弾が大半で、両軍火器の主力は輸入砲であったたと思われます。
近・現代コーナーに展示されているアームストロング砲
若松大町一之町の町並 (復元模型)
商品の取り引きや人びとの往来が
さかんになると、その活動の中心となる城下町、宿場町、港町などの「町」が発達しました。
なかでも城下町は、武士をばじめ、物質を売買する商人や各種の職人が居住し、藩の政治、経済の中心地として栄えました。
総合展示「近世-町のにぎわい」のコーナーで展示している町並みの模型は、嘉永安政年間記覚書』・『町風俗習-大町」・「若松城下絵図」を主な史料として復元した近世末の若松大町一之町付近の町並景観です。
「町」特有の鉤の手になった大川四之辻には、「高札場」、「火の児櫓」がおかれ、通りの中央には用水路が設けられています。若松城下の場合大都市江戸とは異なり、草葺き・木羽葺きの家が多く、薬屋・小間物屋・古手屋・桶屋なと中小さまざまな商人・職人か軒をつらねていたのです。
「若松城下絵図」を史料として復元された町並み
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