教育福島0125号(1987年(S62)10月)-053page
博物館だより
木炭バス
戦時下の窮乏生活を象徴
一九三一年(昭和六)の「満州事変」勃発から一九四五年(昭和二〇)八月十五日の敗戦までの十五年間、日本は戦争下にありました。総合展示室、近・現代「十五年戦争下の生活」では生命も物質も精神生活さえも統制下にあったこの時期の国民生活を、いろいろな展示資料によって明らかにしています。
木炭バスは、この窮乏下の銃後の生活の象徴です。つまり、戦域の拡大により生活物資は軍需にまわされ、国民の生活は次第に逼迫してきました。ガソリンも例外ではありませんでした。そのため代用燃料の開発が急務とされ、木炭バスが作られました。この木炭、ハスは、後部に木炭燃焼装置が付けられ、そこで木炭を不完全燃焼させて一酸化炭素や水素を含む木炭ガスを発生させ、その木炭ガスがシリンダー内で燃焼する時の工「ネルキーで走ります。
展示資料の木炭バスは、一九三八年(昭和一三)に開業した省営バス(現JRバス)福波線(福島〜浪江間)のうち、浪江〜川俣間を走ったいすゞBX40(長さ五・九〇メートル、幅一・九五メートル、六気筒、十二人乗)をモデルに復元製作したものです。
このバスの製作に当たっては、当時の資料が非常に乏しく(いすゞ本社は戦災で資料が焼失、交通博物館にもいすゞBX40の資料は皆無)そのため、旧国鉄自動車部で運転手や車掌、整備などをやっておられた方々に「木炭バスを語る会」を作っていただき、写真を提供していただいたり、写真では見「えない車内の様子や木炭燃焼装置などについてお話をうかがったり、図面を引いていただいたり、全、面的に協力していただいて図面を作成しました。
バスの中には、運転手、車掌、女学生、国民服を着た青年、兵士の五人が乗っています。その衣装は昭和十七年、頃を想定して考証しています。この中で、青年の着ている国民服は、桑の繊維を織って作った服で、当時の「もの不足」を物語る貴重な資料です。
登り坂になるとお客さんに降りてもらい、おしりを押してもらってようやく登ったという木炭バス。山道をガタガタ揺れながら走ったボンネット型の、ハスの姿は、今考えるとユーモラスでさえありますが、「ほしがりません」を強いられた国民の悲しい英知であり、二度と繰り、返したくない歴史の所産なのです。
乗客の服装も当時のまま(車内)
見事に復元された木炭バス
後部の木炭燃焼装置