教育福島0127号(1987年(S62)12月)-027page

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随想 ずいそう

 

枯葉

 

枯葉

 

岡部幹彦

 

と思うからだ。それにしてもこの季節になると思い出される旧い友人がいる。

 

枯葉が乾いた音をたてて歩道の敷石を転がり、頸筋に風のつめたさを感じる季節になると、前を歩く人の背中や、すれちがった人の後ろ姿が気になるのはなぜだろう。そんなことを考えている自分を見つけるようになったのは、福島で暮し始めてからだ。その理由を私は深く考えないことにしている。とは言っても、べつに深刻な悩みや秘められた過去の哀しいロマンスがあるという訳でもない。福島の豊かな自然と変化に富む季節感に全責任を預けて、幸福な気分になっていた方が得だと思うからだ。それにしてもこの季節になると思い出される旧い友人がいる。

S君は、山形の実家を継ぐまでのわずかな期間を両親に請い、仙台で絵の勉強をしていた。そんな事情もあって、彼の生活ぶりは、慢性金欠病の私から見ても、なかなかのものであった。半月間アルバイトをし、残りの半月は絵を描いて過ごすといった塩梅で、石油ストーブの灯油を油絵の具の溶き油に使ってしまい、毛布にくるまって絵を描いたなど、いくつもの笑えないエピソードがあった。そうした彼だが、笑顔を絶やしたことがなかったし、何よりも絵のことになると真剣そのものだった。デューラーの人物素描がどうしても見たくなったといって、深夜突然に私のアパートを訪れ、じっと画集を見つめていたこともあった。けれども、彼のアパートを訪ねる機会のなかった私は、それまで一度も制作中の彼の姿を見たことがなかった。

そのたった一度の光景を目にしたのも、けやき並木の枝々がほとんど裸になりかかった頃のある日の午後だった。一番Tにほど近い青葉通りの歩道に直にジーパンの腰を下ろした彼は、少し背を屈めるようにして、けやきの裸木とその根まわりに落ちた枯葉をスケッチしていた。慌ただしく周囲を行き交う人々の間に見えかくれする彼の姿をしばらく見つめていたが、なんだか彼の姿に一種の崇高なものさえ感じてしまい、声を掛けることもできなかった。

その翌年の春、しばらく姿を見せなかった彼が山形に帰るという噂を聞いた。結局、その後も彼に会うことはできなかったが、思わぬところで彼の姿をもう一度目にすることになった。その年の春の公募展を東京都美術館で観ていた私は一点の自画像に目をとめた。やや上方を見上げる顔は紛れもなくS君自身であった。おそらく仙台で描いた最後の作品であったろう、新しい旅立ちを宣言するかのように少しの揺らぎも感じられない姿に、私は圧倒されるとともに、しばしの間、心の中で声援を送り続けていた。それが私の見た最後の彼の姿であった。あれから八年、私と同年の彼も家庭を持っていることだろう。晩秋の光景の中にスケッチする彼の姿を思い浮かべる私だが、いま彼は晩秋の光景に何を想っているだろう。枯葉の乾いた音はなぜか心を潤ませる。ああ、福島の自然よ。

(県立美術館学芸員)

 

こころ

 

こころ

 

岩橋紀男

 

みも悲しみもあろうに、今を一生けんめいに生きているすばらしい姿である。

 

青く、高く澄みきった空。白く薄い雲がゆっくり形を変えながら東へ動いている。午後のぽかぽかと暖かい秋の日差しが心地よい庭に琥珀色の羽を震わせて蜂がゆっくり飛び交っている。セグロアシナガかな。秋に生れた雌蜂だろう。春、一匹の母蜂が巣を作り始めてから、たくさんの娘蜂、雄蜂が生れ役割を果たして死んでいった今、来春に母蜂となり新しい家をつくる使命を負った雌蜂たちが、秋の日差しの中で冬ごもりの準備に多忙である。思えば毎年変わらぬ半年程度の蜂の一家の生活が終ったのだ。動物にもそれぞれの生活があり苦しみも悲しみもあろうに、今を一生けんめいに生きているすばらしい姿である。

 

人間は科学技術、経済等の進歩発展

 

 

 


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