教育福島0127号(1987年(S62)12月)-028page

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とともに年々平均寿命を伸ばし、そのライフサイクルを大きく変えてきた。そして、とても便利で豊かになった今日なのに、「あの頃は良かった」と以前を懐しむこともしばしば。今より不便で貧しかったあの頃の何が良かったのだろうか。

年寄りが手ぬぐいをかぶり、小さくなった背を丸めて、うまいご飯を炊いてやろうと煙のしみるまぶたを手でこすりながら炊き上げるご飯には心がこもっていた。ありがたさがあった。薪も春の雪解けを待って山に入り赤銅色に日焼けしながら切り、遠い道のりを家族みんなで運んだ薪である。少しも無駄にはできない。農作業も隣人、親戚互に助け合って働き、終れば慰労し合い喜び合った。そんな親たちの姿を見ながら遊ぶ子どもたち同士にも、何か強い連帯感がみなぎり満たされた気持ちになるのである。家族の心のこもった行為、他人を思いやる行為に触れて子どもの豊かな心が芽を出し、芽をふくらますのだろう。あの頃が良かったのは真に心の通い合った人と人とのふれ合いが随所にあったということではないだろうか。

 

去る六月、六十一年度の県の登校拒否生徒の実態調査の結果が発表された何と六百四十人を越すその数に驚く。全国的にも、いじめ問題は減少するものの登校拒否は年々増加し、問題行動が一段と内向型になったと指摘されている。便利になり豊かになった生活のどこかに物を大切にする心、他人を思いやる心、がんばり通す強い心等の成長を阻害し、子どもたちの心を蝕む何かが隠れている。親として教師として子どもたちが生き生きと学校に通い活動する姿を望まずにはいられない。

無気力、無関心、無感動等三無主義、四無主義などという言葉を耳にして久しいが、親も教師もどうすれば豊かな心をもった子どもを育成できるかを真剣に考え、具体的方策のもとに心を育てる指導に目を向け、力を入れるべき時にきているように思う。明日への見通しを持ち、将来への希望を抱いて今を生き生きと生きていける生徒を目ざして。

(会津若松市立第六中学校教諭)

 

生徒との出会い

 

佐々木 登志美

 

と言ってしまえば簡単ですが、この七か月間、いろいろなことがありました。

 

私が中学校教師としての一歩を踏み出してから、早いもので、七か月日も終ろうとしています。ひとくちに七か月と言ってしまえば簡単ですが、この七か月間、いろいろなことがありました。

四月六日、入学式。私のクラスである一年二組の生徒たちとの初めての出会い。この日に写した写真は、今ながめると思わず笑ってしまうほど緊張した顔つきをしています。

五月、六月……と学校行事を一つ一つ経ていきました。そのどれもこれもが無我夢中でした。

四十三人の一人一人の性格がわかりはじめたなと思ったのは六月ごろだったでしょうか。生徒たちとの毎日の会話の中で、「生活の記録ノート」のやりとりの中で、一人一人をもっともっと知りたい。そして、私自身のことも生徒たちに知ってほしいという欲求がそのころから強くなってきました。

そして、それが学級通信の出発点でした。その日のできごとや、自分の中学校時代の話などを書き、また行事やテストの前などは、それらにむけての生徒の抱負を載せています。走り書きの時の方が多いのですが、それでも、生徒から「先生、今日は『一年二組通信』ないの?」と言われると、やはりうれしくなって、ペンをにぎる手にも、思わず力が入ります。

休み時間ごとに職員室に話をしに来る生徒、けんかをしたと言って職員室に泣きながら来る生徒、四十三人四十三色です。

今も、そして、これからも、ものすごいスピードで成長していく子どもたちを、私は間近で見ていくのです。みるみるうちに変化をしていく人間を見ていくのです。そう考えると不安でもあり怖い感じさえしますが、その反面、ちょっぴり楽しみでもあります。

これからも、私は、試行錯誤の毎日をすごしていくことでしょう。今までそうだったように。先生方や生徒たちのはげましに元気づけられながら……。

常に、生徒たちといっしょに成長していけるような私でありたいと思っています。

(郡山市立行健中学校教諭)

 

国際化ということ

 

山口竹郎

 

、このごろ「国際化」という言葉の意味を考えることがよくある。教育という

 

英語を担当している関係もあって、このごろ「国際化」という言葉の意味を考えることがよくある。教育という

 

 

 


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