教育福島0130号(1988年(S63)04月)-006page
提言
学校は校長の器量しだい
福島県小学校長会会長 村岡 房之助
[筆者紹介]
村岡 房之助・むらおかふさのすけ
昭和四年
大阪・八尾市に生れる
昭和二十二年
大阪第二師範から福島師範に転校
昭和二十三年
福島師範学校卒業 公立学校教員
昭和四十七年
伊達郡大木戸小学校長
昭和五十八年
福島県教育庁総務課長
昭和六十年
同 教育次長
昭和六十一年
福島第二小学校長
福島県小学校長会長
ついこのあいだ県下八百の小・中学校のうち、百十五校の校長が職を退いていった。そして多くの人から挨拶状を頂戴したが、私もすぐこのようにしなければならないと思いながらいろいろ考えさせられた。大過なくとか、平凡の積み重ねとかの文面が多いけれど、校長の仕事って何だったのか。失敬ながら、皆一様に気が抜けたように見えるのはどうしたことか。それは永年の一途な仕事の疲れといってよいのであろうか。
確かに今の学校は昔みたいにおおらかさはないし、気骨の折れることばかりで校長の苦労は大変である。児童生徒の多様化、父母の多様化、教育委員会のご指導、等々いろいろあるけれども、何もそんな急にやって来たわけではないし、似たようなことは昔だってあったはずだ。
私学には建学の精神などというものがあるらしいが、何といっても経営の成立という条件が一本通っている。それに比べて公立は親方日の丸と言われるように甘さがあるのかも知れないのである。
校長なんて、いてもいなくても関係ないね、うちの生徒なんか顔も分からないのがいるんじゃないかね、というところもあるがこれは生徒の話で、教職員となるとそうはいかないのではないか。職員室や事務室に勤める者にとって「校長」の影響力は大変なものなのだ。大学の先生や研修室で研究している人は別にして、