教育福島0130号(1988年(S63)04月)-057page

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博物館ノート

百年前の大事件

百年前の大事件

磐梯山の噴火

今年は明治二十一年に磐梯山が噴火してちょうど百年目にあたります。この噴火の状況は文書・錦絵・写真などたくさんの記録として残されています。噴火の様子をこれらの記録をもとに概観してみましょう。

まず、噴火の二、三日前から地鳴りや微震など体に感ずる異変があったが、大して気にとめられていなかったようです。七月十五日の朝七時半頃激震があり、七時四十五分には更に強烈な地震とともに爆発が始まりました。

この爆発は水蒸気爆発と呼ばれ,地下水やマグマ中に由来する水蒸気が高温で圧力を増し、その力で山体が吹き飛ばされたのです。この時は、小磐梯山という標高一七四〇メートルの山体が吹き飛びました。その体積は一説によるとおよそ十三億立方ノートルと見積られています。この時生じた岩塊を伴った泥流は,毎時百数十キロメートルという猛スピードで裏磐梯方面に流下しました。そしてたちまちのうちに、雄子沢・細野・秋元・川上など数多くの部落が泥流により埋没し、五百人に近い人々が亡くなる大惨事となったのです。また、泥流は長瀬川の上流をせき止め、現在の桧原・秋元・小野川湖など計八十もの裏磐梯の湖沼群がほどなく誕生しました。

この爆発の被害状況を伝える貴重な写真が県立図書館に保存されています。それをアルミ板に複写したものの一部が、当博物館総合展示「自然と人間」のコーナーに展示されています。

また、爆発の際噴き上がった火山灰により、あたりは薄暗くなったと伝えられています。この火山灰は厚いところで数十メートルも積もり、山林は火山灰で真っ白くなったそうです。噴火当時、猪苗代町長坂地区にいた吉田丑蔵さんは、泥流に巻き込まれながら九死に生を得て,その時の惨状を記録にとどめるとともに、火山灰のこびりついた杉の一枝を折り、代々家宝として大切に保管されました。当館ではこの杉枝をお借りし、磐梯山噴火を伝える貴重な証拠として展示しております。

当博物館では、今夏、新たに磐梯山噴火を特集した展示を計画しておりますので、その折には是非ご観覧下さい。

▲渋谷村での島風熱灰による家屋人馬の被害惨状(県立図書館蔵)

▲渋谷村での島風熱灰による家屋人馬の被害惨状(県立図書館蔵)

▲磐梯山噴火之図(県立図書館蔵)

火山灰をかぶった杉材▲(猪苗代町遠籐修郎氏蔵)


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