教育福島0134号(1988年(S63)10月)-006page
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提言
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高校教育の多様化を積極的に
文 部 省高等教育局長
國分正明
[筆者紹介]
國分正明・こくぶんまさあき
(昭和十一年生まれ 福島県三春町出身)
昭和三十四年
東京大学法学部卒業
同 三十四年
文部省社会教育局社会教育課
同 三十六年
同 大学学術局大学課
同 三十八年
文部省初中局地方課
同 四十一年
北海道教育委員会総務課長
同 四十三年
文化庁文化部著作権課課長補佐
同 四十五年
文部省管理局振興課課長補佐
同 四十八年
同大臣官房会計課副長
同 四十九年
文化庁文化部著作権課長
同 五十一年
鹿児島県教育委員会教育長
同 五十四年
文部省初中局地方課長
同 五十六年
同 初中局財務課長
同 五十七年
同 大臣官房会計課長
同 五十九年
同 高等教育局私学部長
同 六十一年
同 体育局長
同 六十三年
同 高等教育局長
我が国の教育は画一的であるとしばしばいわれる。確かにそういう傾向にあったことは否定できない。明治以降急速な近代化を図るため効率性が求められたし、また戦後は教育の機会均等、平等主義の主張の下に同一の教育を行うのでなければ差別選別の教育であるとの批判を受ける状況がしばらく続いた、という背景も考慮する必要があるであろう。そしてまた、公教育である以上、ある程度の画一性は評価されるべきだし、必要であろう。
しかし、人間は、当然のことながら個性的な存在である。能力、適性も多様で同一ではない。したがって、教育もその個性に応じたものでなければならないはずである。そこのところを踏まえず同一の教育を行うのは、理念的にもおかしいし、実際的でもないとの反省が近年各方面からなされている。臨時教育審議会は、教育改革に関し様々の提言をしているが、その視点として、個性重視の原則は最も重視されなければならない基本的な原則であるとしている。法制的にも、憲法(二六条)も、教育基本法(三条)も、能力に応じて均しく教育を受ける権利、機会と規定していることを想起する必要がある。
この原則は大学教育についてより適用されるべきなのだが、大学問題は私が現在担当している分野であるので却って発言しにくい意味があり、本欄では高等学校教育の現実に即して私見を述べることとする。
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