教育福島0134号(1988年(S63)10月)-023page

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随想 ずいそう

 

憧れの山

 

憧れの山

早池峰山

 

藤田昭子

 

藤田昭子

 

早池峰山。標高一九一四メートル。山の形は、さほどよいとは言えない。けれども、柳田国男の「遠野物語」やエーデルワイスに日本で最も似ている花、ハヤチネウスユキソウの咲く山としてご存知の方も多いと思う。

私が山登りを始めたのは、教員になった年の秋だった。その時から早池峰山は私の憧れの山であり、ハヤチネウスユキソウは憧れの花であった。

 

その早池峰山に登る機会にめぐまれた。もちろんハヤチネウスユキソウの咲く七月である。白河市を午後七時に出発。車を走らせること五時間、早池峰山の麓に到着する。車から降りると、月の明かりで、山の稜線がくっきりと見えた。やっとこの山に登れるのだと思うと、自然に頬の筋肉がゆるむのがわかる。

短い眠りから目を覚ますと、あたりは明るくなっていた。晴天が期待できそうな空だ。梅雨の真最中にラッキーというほかはない。少ししか眠っていないのに、元気が出てくるのがわかる。

さわやかな空気の中を、私たちは登り始めた。少し歩くと、もうそこは、高山植物の花、花、花である。ミヤマアズマギク、ヨツバシオガマ、ナンブイヌナズナ……。厳しい寒さや強い風に耐えて咲く花は、本当に美しい。その中に、白い綿毛におおわれた総包葉、中心部に黄色い丸い花を持つ植物を見つけた。「あっ、ハヤチネウスユキソウだ」この花は、他の高山植物とくらべ、華やかさはなく素朴な花だ。しかし、東北の山にふさわしいと思った。

頂上に近づくにつれ、山の傾斜はきつくなってきた。登っていると、岩が垂直になっているように見えてくる。油断をすると転げ落ちそうだ。日射しは痛いくらいで、汗はぬぐってもぬぐってもしたたり落ちてくる。足が重く感じられる。そういうとき、

「今が、がんばる時なんだ」と、私の中でもう一人の私の声がする。

「誰も助けてはくれない。自分でやるしかないんだ」

 

そして頭の中に、ゴールに向ってがんばっている子どもの姿が浮かんでくる。こんな時、子どもはきっと、今の私と同じ気持ちでがんばっているのだと思う。学校生活の中では、励ます立場の自分だが、子どもと同じ気持ちになれる『このとき』を私は貴重に思う。「やったあ、頂上だ」

苦しさを乗りこえて頂上に立った時の気分は最高である。そして、眺めは壮観、飲む物、食べる物も格別な味なのである。

 

長く持ちつづけた夢は裏切られることが多いものだが、早池峰山は、私の期待通りにすばらしい山だった。他の人とくらべ体力のない私だが、やはり山を離れられそうもない。もう一度、ハヤチネウスユキソウが咲く頃に訪れてみたいと思っている。

(泉崎村立泉崎第一小学校教諭)

 

障害をのり越えて

 

障害をのり越えて

 

障害をのり越えて

佐原英夫

 

や同僚の支えや生徒たちの励ましで何とか教員としての職責を果たしてきた。

 

私は、生まれながらに両手が不自由な障害者である。これまで、先輩や同僚の支えや生徒たちの励ましで何とか教員としての職責を果たしてきた。

幼いころは、障害をかくすため黒いマントを着て外出するのを常としていた。また、中学時代には、一人押入れに入って、行く末についての不安に涙

 

 

 


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