教育福島0137号(1989年(H01)02月)-006page
提言
教育は愛である
県外在住功労知事表彰者 東京慈恵会医科大学名誉教授
南 武
[筆者紹介]
南武・みなみたけし
明治四十二年
伊達郡月舘町に生まれる
昭和 二年
県立福島中学校卒業
同 十年
東京慈恵会医科大学卒業
同 十四年
千葉医科大学専攻科修了
同 十八年
東京慈恵会医科大学講師
同二十二年
同 助教授
同二十七年
同 教授(泌尿器科学講座主任)
同四十五年
日本泌尿器科学会々長
同 東京慈恵会医科大学病院長
同四十六年
日本核医学会々長
同 五十年
東京慈恵会医科大学名誉教授
同 日本泌尿器科学会名誉会員
同五十一年
厚生技官・国立西埼玉中央病院長
同五十二年
日本核医学会名誉会員
同五十六年
勲二等瑞宝章
同五十七年
財団法人野口英世記念会理事
同六十三年
日本透析療法学会名誉会員
同 福島県知事表彰一県外在住功労者)
人間の生涯には運命を左右する人との出会がある。ことに若い頃に良き師に巡り会えたことは何物にも換え難い幸せである。
日制の福中一現在の福高)に森下菅根という先生が居られた。東京高師の英文科出で一時中学校で教えていたが、再び母校で研究されてからまた教壇に立たれた方である。ある時生徒の一人が単語の解釈で辞書にはこう書いてありましたと云ったところ、その辞書を訂正しておけと云われ、英々辞典を使うべきだと教えられた。またある時、生徒の質問に、僕も知らん、後で調べてやると云われたこともある。知らぬことを知らんと云える先生の偉さに我々は驚いた。
山岳部の部長でもあった先生と一緒に山に行ったある時、我々が飯盆炊さんをしていた折、先生はそばに居られたが、寸暇を活用して英語の本を読んでおられた。我々はしばしば暇がないと云うが、時間はっくり出すものだと無言のうちに教えられた。また野山での食事のあと始末や原尿後の処理法まで教えられた。
厳しい反面、生徒を愛して下さった。先生の方から云い出して我々受験生には放課後特別に英語を教えて下さった。もちろん無償であった。わしには諸君の将来に対する楽しみがある。諸君の前途に期待していると云うことも時々云っておられた。
私が慈恵の学生だった昭和の初期は治安維持法という法律でどれだけ多くの学生が留置場に入れられたかわからない。マルクス