教育福島0137号(1989年(H01)02月)-007page

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県外在住功労者表彰式場にて(左から二人目が筆者)

県外在住功労者表彰式場にて(左から二人目が筆者)

 

の資本論を持っていただけで検挙されたという話も聞いたことがある。

一高や三高から放校された学生にも、慈恵は受験させ入学を許していた。入学式の時、金杉英五郎先生は『学生は白紙白糸である。染めようによってどのようにも染まるものである』とよく云われていた。どんな学生をも世の中の役に立つ人間に教育してやる、という愛情と自信に胸を打たれたものである。慈恵の学生でも警察にひっぱられた者はあったが、そのつど教授のだれかが学長の意を体して貰いさげて授業に出させていた。学長はある時、『学者の中には非常識で無情、時勢に暗く且つ偏狭な人も多い』と云われたことがある。先生はまさにその反対だった。

私は卒業時に学長から「興業発明本無常主勉者便是主人」という文句をかいた色紙を頂いた。業を興したり発明をしたりする人があるが、生れつき天才のように決まった人がいるわけではない。だれでも努力さえすればそういう人になれるのだ、君も努力しなさい、という意味である。私は駕馬ですが、先生のこの文句を鞭として自らを鞭うって、できないながらも努力してきたつもりでおります。人は叱られるよりもおだてられた方が発憤興起するものでありましょう。

私が国立病院長のとき附属看護学校長も兼任させられておりました。ある学年末に一人の生徒を進級させるか放校かと、教務委員の間で問題になり、私に決裁を求めてきた。その生徒を呼び、いろいろ質問をしてみた。能力はありそうだし、性質も良いと思ったので励ましてやりその後の努力を促した。その後無事卒業し、国家試験も一回で通った、という経験もしている。

私の教室員の中から教授が八人できて方々で活躍している。良い人が集まったからではあるが、私が受けた愛情教育の受け売りがいくらか役立ったのではないかと密かに自負している。

 

提言

 

 

 


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