教育福島0140号(1989年(H01)07月)-007page
「心の財産」と題して講演する筆者(月輪小学校両親学級にて)
があるとしても一を実現して、人々の欲求は、高次化し、多様化しつつある。
人間が人間であるための根源的なもの、すなわち、心の問題に関心をもつ人が増えてきている。
合理主義一辺倒に対する懐疑の念も生じてくる。
経済社会においても、その根底に対立の観念をもつ競争原理に調和の観念が求められている。
二十年程前、ソニーの盛田昭夫会長が「学歴無用論」の中で「日本の会社は、仕事本位、能力本位のあり方とかけはなれているし、これほど不合理なことはない。能力本位で合理主義に徹している米国の会社と比較して、日本の会社が競争力において劣るのは当然至極のことだろう」と書いている。
当時、史上最強最大の経済大国であった米国が、なぜ、最近になって、帰属意識を大切にする日本式経営に強い関心を寄せているのであろうか。
人間とは合理的なものさしではかり切れる存在ではない。ましてや偏差値などというもので人間をはかるなどは、人間の造物主に対する冒◆ではなかろうか。
競争心は、表面的には、能力向上の刺激効果を持つ。
しかし、一人ひとりの内面に立ち入ってみれば、優越感と不安感、自信過剰と自信喪失、他者の失敗願望などの心理的な葛藤によって、それぞれ異なる一人ひとりの能力が、その持てる力を発揮できないでいることが多いのではないかと思う。
それ故、私は言いたい。
「他と比べて己をはかることなかれ。昨日と比べて今日の己をはかり、今日の己をはかりて明日の己を目指すべし」と。
提言