教育福島0141号(1989年(H01)09月)-002page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

教育福島0141号(1989年(H01)09月)-002page


文化の窓

中通りの仏像

シリーズ・福島の仏像2

期間九月二十二日(金)〜十一月二十六日(日)

場所福島県立博物館

中通り地方は、東北本線に沿って南北に長く、また阿武隈山地が東方にひかえている。細長い地域ではあるが、各時代にわたって、特色のある仏像が伝えられ、この地域の歴史、文化の深さが知られるのである。

福島市大蔵寺には、平安時代の古像が二十八躯も伝存している。しかし長い星霜を経て、当初の完全な姿をとどめるものは少ない。破損仏とはいえ、このように、平安時代の仏像を大量に伝えているところは、他にみられない。すべて一木造で、一本の木から頭体の像の中心部を彫出している。平安時代も早い頃の像は、量感が豊かで、衣文の彫りなども太く、深い。時代が下るにしたがって、次第に穏和な造形へと展開していくが、一木造の技法的伝統はなお生き続けていく。

平安時代の仏像の分布地域は、ある程度限定されるが、鎌倉時代に入ると、中通り地方のほほ全域にわたって作例を認めることができる。棚倉町八槻都々古別神社の木造十一面観音立像は、天福二年(一二三四)に修行僧によってつくられたものである。修行僧の彫刻らしく、荒々しい中にも気力の充実した造形である。さらに中央の作風を受け継いだ像が、豊富になるのもこの時代からである。二本松山善性寺木造阿弥陀如来立像は、その好例といえよう。南北朝時代に入っても、前代とほぼ同様に遺例が各地に分布している。特に阿武隈山地にこの時代の作例が、集中して存しているのは注目される。中央仏師の活躍が顕著になるのも、この時代である。その代表ともいえるのが仏師乗円で、福島市陽泉寺、二本松市善性寺、古殿町西光寺などに遺品を残している。一人の仏師が、このように一地方に多くの作品を残していることは、全国的にみても稀なことである。その他、常葉町成願寺には仏師円西の作品が伝えられている。この時代、多くの中央仏師が当地方に入ってきたことか知られるのである。この地方の造像活動の活発な様子が窺えるであろう。

大蔵寺地蔵菩薩立像(福島市)

大蔵寺地蔵菩薩立像(福島市)

八槻都々古別神社十一面観音菩薩立像(棚倉町)

八槻都々古別神社十一面観音菩薩立像(棚倉町)

善性寺阿弥陀如来坐像(二本松市)

善性寺阿弥陀如来坐像(二本松市)


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は情報提供者及び福島県教育委員会に帰属します。