教育福島0143号(1989年(H01)11月)-006page
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提言
文化運動断片
−−ある一人の教師K先生−−
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福島県文化功労者 玄葉與光
【筆者紹介】
玄葉與光・げんばよしみつ
大正五年
田村郡船引町に生まれる
昭和十年
早稲田大学中退
家業の酒造業に従事、現在に至る
昭和二十年
船引青年文化協会会長並びに福島県農
村文化団体連合会常任理事
昭和四十年
福島県教育委員会委員
昭和四十三年
同委員長
昭和四十六年
船引町長(五十八年まで三期十二年間)
福島県文化懇談会委員
福島県文化功労賞審議会委員
昭和五十八年
船引町名誉町民
昭和六十三年
勲五等双光旭日章授章
平成元年
福島県文化功労賞受賞
−終戦−
昭和二十年(一九四五)八月十五日敗戦。戦乱のあとに残されたのは疲れ果てた人達が行くべき方向を失い放心状態に置かれたことだった。
−青年文化協会の発足−
自らの教養を高めることを願い郷土愛に燃える男女合わせて百六十人の若い人達の情熱があぶくまの山峡の町にほとばしった。地方文化運動を起こし、いささかでも地域に足をおろした生活文化に火を点じようとスタートした。然も当時としては男女一体になってという団体はまだ少なかったが、生活に基盤をおいた文化運動には女性自らの啓発と助力がなければ向上しないことを認識し合ったことは快挙であったと私は思う。十一月三日(一九八九)の朝日の社説に「街角の文化に女性の声を」と題して……街角文化の担い手たちが、話し合いの中から新しい発想をするようになるならば、もっと素晴らしい「文化の日」を迎えられるだろう。……と述べているのを読んで、宜なるかなと感じた。
−K先生が身近に−
町立国民学校の教頭にK先生がおられた。先生は玉川学園で小原国芳先生の全人教育の薫陶を受けられ、自らの哲学と宗教理念を堅持されて、真・善・美の追求を通じ、あらゆる面での指導助言をされた。私達の提唱にも全面的に御協力下され、正に学校の内と外の両面にわたり立派に使命を果たされた人格者であった。私は生きて来た七十有余年の人生の中で、今でも「あの時、一人の偉大な教師ありき」と往時を思い出している。
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