教育福島0148号(1990年(H02)07月)-023page
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随想
日々の思い
赤飯の心
上野妙子
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四月のある土曜日の午後、いけ花の先生宅に伺った、いつものように、格子戸を開ける。カラカラ……。その音にまで風情を感じ、やさしい気持ちになってしまう。玄関までの敷石を、軽く柔らかに踏んだような気がした時、いつもと異なった光景を見た。げっとうの葉に載せられた美味しそうな赤飯が、庭石の上に置いてあったのである。九州出身の方なので、会津人には分からないおまじないをなさると、勝手な想像をした。石の傍には、品のいい松の木が屋根の庇ほどの高さで赤飯を見下ろしていた。
そのうち、先生の声に誘われ、いけ花の練習に入った。この日も、笑顔で丁寧に教えて下さった。お花の片づけを終えると、先ほどから気になっていた赤飯を勧められた。そして、心を見通してか、赤飯を炊いた訳を話された。
松の木に、小鳥が巣を妙けた。つがいが交替で餌を取っては雛に与えていた。その雛が、巣立つまでに育った。そこで、巣立ちを祝ってあげようと赤飯を炊かれたとのこと。笑顔に輝きを増し、きれいだった。
そのことを聞くや否や庭に飛び出し松の木を仰いだ。いるいる、確かに。三つのかわいい頭が、小枝の間の巣に見え隠れしている。再び赤飯に目をやり、巣立つ雛に寄せる慈愛に、胸の辺りが熱くなるのを覚えた。わざわざ赤飯を炊いたという優雅さと温かさをかみしめるようにして素直に赤飯をいただいた。
うぐいすに似た小柄な親鳥や雛と、多くの語らいをなさってきたに違いない。草木に心を寄せて対話なさると同じように柔軟な心で。
よく、先生は、一枝、一葉のさまざまな表情や美しさを教えて下さる。しかし、私にはそれが見えないことが多い。だから、生かす枝葉を見付けられずに迷うばかりなのである。ひとりよがりで切り落とした枝葉が大事な枝葉であったりすることが多いのである。まとめられないでいる花に、先生の手が少し加えられると、草木は素直に言うことをきいて、見事に変貌してしまう。また、一本、一輪を手にしては、草木の成長する背景である自然や、それぞれの性情、そして出生等も話して下さる。特性をよく知って生かしてしまうのである。生かされた一木、一草、一輪の花は、どんなに喜んでいることか。そして、生かすことのできた人もどんなに幸せなことか。
草木を生かして人も生きるということは、子どもと教師の関係にも重ねて考えられはしないだろうか。小鳥や草木を素直に見つめて、わずかなことに関心を向け、驚いたり、感動したりする柔軟な心が、一本の枝、一枚の葉、そして一輪の花を生かせる枝につながるに違いない。教師としても、子どもを生かすには、柔軟な心がいかに大切であるか、あの日の赤飯が教えてくれたように思う。
(塩川町立塩川小学校教諭)
什(じゆう)の掟
七宮成夫
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戌辰戦争で絶望的な戦闘を続けて悲惨な敗北を遂げた会津藩において、藩校である日新館に入る前の幼い武士の子供たちが遊びの中で取り決めていたのが「什の掟」である。
一、他人にあったらあいさつをする。
一、弱いものをいじめてはいけない。
一、他人のものを盗んではいけない。
一、うそをついてはいけない。
一、・・・・ 等々
これら十ケ条からなる掟は、至極当然なことであり、人としての基本であ
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