教育福島0148号(1990年(H02)07月)-043page

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A 当教育センターと学校が連携を図りながら指導援助を進めた中学校二年生A男の「不登校」の場合について、紹介いたします。

 

A男の不登校の素因として考えられることは、自己主張が弱くそのため学級の中で孤立の傾向にあった。

また、部活動のバスケットに寄せる気持ちは強かったが、身体的には強健な方ではなく風邪による欠席が度々あった。

○五月の連休明け、頭痛や腹痛を理由に欠席し始めたが、医師の診断では、身体的には異常はないとのこと。

先生も親も、再三登校を促したが、A男は口を閉ざし、ついに自室にこもってしまった。しかし、土曜日の午後や日曜日には、ふだんの生活を送ることができた。

○五月中旬、担任が家庭訪問で母親と面談。父親は多忙な会社役員の立場で家庭を顧みず、母親は長男であるA男を干渉的に、時には気まぐれ的に甘やかして養育していたことが、A男の性格の背景として浮き彫りにされてきた。また、両親は、A男の学業や部活動の成績に非常に期待していたことが、本人にとってはプレッシャーになっていたと理解できた。以上のことから、A男の性格形成にかかわる両親の養育態度についての把握ができた。

誘因としては、部活動のレギュラー選手に選ばれなかった挫折感が考えられた。

そこで、素因や誘因をより確かなものとするために、資料収集(内容省略)を行って次のように対応した。

 

〈当教育センターのかかわり〉

A男には、まず受容的に接し情緒の安定を図りながら、ロール・プレイングや主張訓練による自己表現力をつけるようなかかわりをした。

両親には、不登校についての不安を和らげ、今までの養育態度についての気づきを深めさせ、両親の絆を強くする等のかかわりをした。

学校へは、素因・誘因・両親の養育態度が把握できたところで、指導援助の方針や計画について、生徒指導主事を通して連絡した。

 

〈家庭でのかかわりと変容〉

当面、登校刺激は控え、指示や指図を極力避ける。

欠席していても、日常生活のリズムは崩さない。

父親は、本人との接触の機械を多くもち、認める言葉をかける。

その結果、家庭では、A男自身による判断や決定を尊重するような両親のかかわりがみられ、また父親のあたたかい接触が多くなるにつれ、本人の情緒が安定してきた。

 

〈担任のかかわりとA男の変容〉

両親に対して、始めにA男の不登校の改善解決に全力を尽くすことをつげ、家庭訪問の都度、両親を支え励ましながら当面の具体的なかかわり方を話し合った。また、A男の興味や関心のあるものから行動を共にし、自然発生的な会話ができるように配慮した。

 

○七月中旬の家庭訪問では、テレビの画面で担任との笑いを共有でき、リラックスした会話が交わされるようになった。

○夏休みに入って間もなく、友達一人を連れて訪問した。何の抵抗もなく一緒に遊ぶA男の姿が見られた。

○八月中旬、クラス仲間とのキャンプを計画した。友達との交流がすすむにつれ、A男は、自分の気持ちを表現できるようになった。

○夏休み終了近く、そろそろ登校刺激の時期とみて、抵抗の少ない人目につかないころを見計らって登校の練習をした。昇降口に入る・靴箱に靴を入れる・教室に入る等、数日ごとに徐々に抵抗を弱めるために、細かなステップを踏みながら進めた。

このステップは、担任とA男との話し合いで決め、行動の決定は、A男に委ねた。

二学期始め、キャンプに参加した友達の迎えを受け、とうとう登校することができた。

○十月、部活動には、まだ参加できないが、放課後、学習綿でやや遅れ気味の数人の仲間と一緒に、個別的に教科担任の指導を受けている。並行して、学校生活全般においても、担任は、A男とA男を含む学級全体についての指導に気を配っている。

 

このようなよい結果をみたのは、不登校の背景の分析に基づいた適切な指導援助と、先生方全員が共通理解に立ち全力を注いだ熱意そのものによるものと言えよう。

 

Q 問題行動の改善・解決には、大変なエネルギーを必要とするのですね。そこで、問題行動に至る以前の予防的な指導援助が重要になると思います。

よい予防的な指導援助の事例がありますか。

A 当教育センター発行の紀要八十一号に小・中・高校の事例を掲載してありますのでご覧ください。

 

 

 


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