教育福島0149号(1990年(H02)09月)-028page

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言ってきたのが、S君であった。彼が以前からコンピュータに取り組んでいることを聞いていた私は、即座に彼に入力してくれるように頼んだ。そして、彼のコンピュータを操作している様子を見て、唖然としてしまった。とにかく速い。しかもキーボードをまったく見ずに打ちこんでいるのである。

後で聞くと、彼は誰にも頼らずに、独学で覚えたというようなことを話した。初めは、失敗ばかりしていたらしい。しかし、壁にぶつかっては、ひとつひとつ苦労しながら自力で解決し、その繰り返しによって身につけてきた彼のコンピュータ技術は、自己流とはいうものの、かなり確かで高度なものであった。その日から、彼が私のコンピュータの先生となった。

それから教か月後、この先生の存在を頼りに、授業参観日にコンピュータを使った授業をすることにした。保護者にコンピュータを少しでも理解してもらおうというのがねらいであったが、今思うと、かなり無謀なことであった。しかし、ここでも彼が私を助けてくれた。コンピュータを操作し始めたとたん、学級の子どもたちは、ほとんど私をあてにせず、困ってしまうと、彼を呼ぶのである。この時間の先生は、まさにS君であった。

参観した保護者の一人が、学級懇談会の席で、「私は、自分の子どもがこの学級で本当に良かったと思った。ふつう高学年になると、異性を意識しだして、話もあまりしなくなる。でも、この学級はそうしたことがまったくなく、女の子が男の子(S)をひっぱってでも自分のところに連れてきて、分かるまでやろうとしている。とてもすばらしい雰囲気だ」といった感想を話された。担任としては、大変嬉しかったし、S君に感謝せずにはいられなかった。

彼の手紙を読みながら、今考えてみると、彼をこのように生かすことができた一つのきっかけは、まさにコンピュータにあったことは確かである。しかし、それが無くても、正しく子どもを見る目をもっていれば、同じように彼を生かすことができたのではないかと考える。彼のように、自分がやろうと決めたことを自力で解決し、最後までやり通そうとすることは、今の子どもたちに欠けていることである。この望ましい態度が、たまたまS君の場合、コンピュータをきっかけとして発見され、伸ばされることになったのである。

子どもは、どの子も、その子なりのすばらしい力を持っていながら、ほとんど引き出してもらえず、かくれたままでいることが多いのではないだろうか。ふだんの子どもたちとの生活の中で、どの子もS君になれるように、一つのことをきっかけとして現われるその子どもの良さを逃さずに発見し、援助してやることが、私の課題であるように思えてならない。

(原町市立太田小学校教諭)

 

意味ある他者

草野義教

までの教職生活を振り返りながら、私なりの教職に対する想いを述べてみたい。

 

今年は教員となって十年、中堅教員と言われる域に入り、私にとって節目の年にあたる。今までの教職生活を振り返りながら、私なりの教職に対する想いを述べてみたい。

最初に赴任したのは、県中地区のI中学校、静かな田園風景に囲まれた生徒数二百名足らず、教職員十七名ほどのいわゆる小規模校であった。しかし、私にとって、この学校が小規模校とは思えなかった。なぜなら、私が生まれ育ち学んだ中学校は、それよりさらに規模の小さい、へき地校だったからである。

この年、新採用教員として授業研究に数回取り組んだ。その中で私は学級会活動(現在の学級活動)をすることになり、指導案の作成に取りかかったが、いくら考えても指導案を事前研究の日まで完成できず、授業研究を延期することになってしまった。今でも恥ずかしく思い出される。

このとき私を指導してくださったのは、二歳年上のT先生である。母親として子育ての最中にあった先生は、学習指導に関して深い見識を既にもたれていた。同世代のしかも忙がしいさ中の先生にできることが、なぜ私にはできないのか悩んだ。以来、私は「T先生のようになりたい、なってみたい」と思うようになった。

この中学校で二年間の勤務後、転勤したいわき市内のO中学校は、県教委地区指定「勤労体験的学習」の研究校であった。この学校で、私は何をなすべきかわからないうちに、研究同人としての取り組みが始まった。

校長先生をはじめ、人名の教職員で研究組織を確立し、各部ごとに研究内容を決定しながら研究に取り組んだ。研究主任は私より若いI先生、そして活動部長のK先生を中心に推進した。私は、指導研究部に所属し主に授業研究を担当した。I研究主任を中心にしたこの勤労体験的学習の研究は、多くの成果を上げると同時に、私たち研究に携わった者を教師として成長させたと自負している。

O中学校では、現在もこの研究活動が継続され、新たな成果を産み出している。

この十年間、教員としての私のまわ

 

 

 


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