教育福島0149号(1990年(H02)09月)-029page
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たことを見逃すことはできない。この「意味ある他者」の存在が、私を教員としてわずかながらも成長させてきた事実に感謝したい。
初任者研修が制度化された現在、若い教師が成長していくためには、所属校における「意味ある他者」を発見すること、いや、その存在にかかっているといえよう。組織としての学校は、多くの校務を分担しなければならない一人の教師が万能なわけはない。一人一人が持ち味を最大限に生かす姿が若い教師に受け止められてこそ機能する組織といえよう。私は、組織の一員として、若い教師の「意味ある他者」となるよう努力を続けたい。
(いわき市立湯本第一中学校教諭)
文化財保護雑感
佐藤重吉
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「うわあ、大きなかめだなあ」
「先生、昔は、こんな半分土にうもれたような家に住んでいたんだね」
ここは、柳津町の芸術文化資料館。六年生が社会科の学習で、縄文時代の出土品や竪穴(たてあな)住居を見学に来ている。
柳津町には有名な石生前(いしうまえ)遺跡があり、ここからは、火焔(かえん)土器、複式炉など貴重な遺物が、次々と掘り出された。特に、火烙土器は新潟県馬高遺跡出土のものが有名であるが、ある専門家によると、この上器の源流は会津にあり、柳津がそのふるさとかもしれないとのことである。
石生前遺跡は、農道拡張のため、遺跡が破壊されるおそれがあるので関係者の間で憂慮されていた。幸い、理解ある町当局と協力的な地権者とによって、発掘調査が実現し、その遺物を保管・展示する資料館ができあがったのである。
「保護法がやかましいので、思うように開発ができない。なんとかならぬものか」「発掘などに莫大な費用をかけ土器のかけらなどを集めて何の意味があるのか」
というような声を、時々耳にすることがある。
私は、文化財の保護には常々関心を持ち、時々日曜日等を利用して遺跡等を訪ね回ることがある。新聞やテレビ等でもよく報道されているが、開発による遺跡破壊のすさまじさには驚くことが多い。数日前まで、空堀や土塁など立派に残存していた城館跡が、あとかたもなく消滅してしまった例、県内でも数少ない古式古噴群が山砂採取のため原形をとどめなくなっている例など、聞くたびに心を痛めている。
文化財は、我々の祖先が営々として築きあげてきた生活の証しであり、次代の人々へと継承していかなければならない貴重な遺産である。開発も大事ではあろうが、このかけがえのない大切な財産を、ぜひとも、守っていかなければならないと思う。
新指導要領の社会科編には、「……博物館や郷土資料館等の活用を図るとともに、身近な地域及び国土の遺跡や文化財などの観察や調査を行い……」と明示されている。小学生のうちから資料館見学等を通して、実物を見たり手に触れたりしながら、県体的、実感的にとらえさせ、それらが大切に保存されている意味に気付かせることが大切であると思う。
わが柳津小学校では、文化財に親しむ数々の活動を実施している。中、高学年では、教育課程の中に資料館の見学を位置づけているし、全校生を対象に柳津に伝わる昔話の語り聞かせも行っている。また、公民館主催の縄文式土器制作にも参加しており、後期からは郷土史クラブの設置も計画している。
これらの活動を通して、郷土の生んだ文化財に親しみ、理解し、そして大切にしていこうとする子どもを育てたいと願っている。
(柳津町立柳津小学校教頭)
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柳津町石生前遺跡出土縄文土器
教師になって
國井美智子
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三月十四日、一枚の葉書を手にした。待ちに待った採用通知である。今まで待ち続けた葉書だけに、手にした時の気持ちは、喜びの気持ちとともに身がひきしまる緊張を覚えると同時に、不安も大きくなっていった。二年間、講師として教壇に立って、「教える」ことの難しさ、学級を経営する大変さを
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