教育福島0151号(1990年(H02)11月)-006page

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提言

外国の人々とのつきあい

福島県文化功労者 河野光子

 

あったが、無事命長らえて今の地位にカムバックされての嬉しい対面であった。

 

話はいささか古くなるが、始めて外国に出掛けた時の事である。カワゲラのインターナショナルのシンポジウムの御招待を受けて、昭和三十八年(一九六三年)に西ドイツも北のはずれに近いプレーン(PLON)なる地に参加したのであったが、ドイツ皇帝カイザー・ウィルヘルムの内帑金で設立されたというカイザー・ウィルヘルム研究所は、第一次世界大戦後、ドイツの瓦解後は名もマックス・プランク研究所と改め、各分野毎にドイツ各地に散らばる研究所のうちの一つとなっていた。ここは臨湖水生研究所であり、昔、陸水学の始祖チーネマンが湖沼の多い土地柄故にここを足場として実績をあげた所で、彼の実験室もそっくり保存されてあった。主催者である水生研究所の副所長であるイェリス博士は、私が学生(東高女高師-今の御茶大)時代に英文の論文発表後に外国のカワゲラ学者に贈呈して論文の交換が始まったのであるが、「今、ナチスに追われているので身を隠す。暫く便りが出来ない」というお便りの後、音信の絶えた方であったが、無事命長らえて今の地位にカムバックされての嬉しい対面であった。

今回はヨーロッパに限った旅行とし、学会前にスウェーデン、ルンド大のベルブリンク教授。そして終了後には、スイス、ローザンヌ動物博物館のオーベール博士、ローマ大学のコンシングリロ教授、大英博物館科学部のキミンス氏等の旧知のカワゲラ学者を訪ね、また、明治初年に日本から採集され、当時のカワゲラの権威者クラパレークがその著作で紹介したという幻の原種を確かめるために、彼の原著が所蔵されているスペイン、マドリッドの博物館を訪ねるスケジュールも組んでいた。

 

 

 


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