教育福島0151号(1990年(H02)11月)-007page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

シンポジウムで私は日本の小力ワグラについて「クロカワゲラ類の翅の長短について」という報告を行った。それに先立ってイェリスから、カイザー御夫妻が臨席されるとの話があった。当時、御夫妻はデンマークに亡命されていたが、こうした事に興味をお持ちでお見えになったのであった。次の日、学会に付きもののエクスカーション(小旅行)に研究所の小艇で湖沼めぐりを行ったが、カイザー御夫妻も参加された。ある由緒ある小島に上陸してティーの御馳走にあずかったが、板を渡して島に上る際に、カイザーは一人一人の手をとって下さった。躊躇する私にイエリスは「遠慮しないで」と言葉をかけ、後で、「日本ではこんなに簡単にカイザーにお会いできないでしょう」とも言った。帰国後、昔の画報類を調べた結果、父君と共に閲兵される当時の皇太子(今はかなり太られた偉丈夫であるがその際立つ長身は間違いない)が正に彼自身であることが確かめられた。

ドイツに出掛ける当時の私自身の事について言えば、五年程前から、父とその知人とのトラブル、父の死、家業である酒造会社の社長就任、初経営の苦労、相続税の問題、そして母の闘病生活と続いて、私の人生の中でも波瀾に満ちた困難な年月であった。それでも、この間も、十分な採集はできないまでも、新文献の諸学術誌の閲覧を怠ることなく、様々な苦労の末に東北大学の博士号を得ることができた。

思えば、出発の間際まであわただしく、訪問予定の国々の歴史を調べたり、英会話の練習なども全く出来ないままに出掛けた初めての一人旅の外国旅行であった。この記念すべき旅行の経費については、当時は十六万円という、今では考えられない少額の規定があったので、あれこれ知恵を働かせ工夫をして行動して間に合わせた。それにしても、ドイツで接した一般市民、中学生、その他の人々の立派な態度には感心するばかりであった。当時はまだ瓦礫の山も見られたが、必ずやこの民族は立ち直るであろうと確信した。

帰国の際には、一人旅の身軽さもあって、二度と行くことはできないと思われた憧れのパリ、ギリシャ、エジプト(ピラミッドの中まで昇った)、台湾、香港と旅したが、いずれの場合も、自身の心構え一つで様々なことが経験でき、外国の人の心も受け入れられる事実を痛感したのであった。

 

エクスカーションに出掛けるカラゲラ学者の皆さん(1963年)

エクスカーションに出掛けるカラゲラ学者の皆さん(1963年)

○印ドイツカイザー御夫妻×印イエリス博士(筆者は前列央)

 

【筆者紹介】

河野光子・こうのみつこ

大正 五年 会津若松市に生まれる

昭和 十五年 東京女子高等師範学校卒業

昭和 十八年 波磨忠雄氏と結婚

昭和 三十年 此花酒造株式会社常務取締役に就任

昭和三十五年 此花酒造取締役社長に就任

昭和三十七年 東北大学より理学博士授与

昭和三十八年 西ドイツで開かれたカワゲラのインターナショナル・シンポジウムに出席

昭和四十二年 会津若松市文化功労賞受賞

以後、スウェーデン(昭和四十三年)、アメリカ(昭和四十九年)、西ドイツ(昭和五十二年)、日本(昭和五十五年)、フランス(昭和五十八年)、オーストラリア(昭和六十二年)、スペイン(昭和六十三年)で開催されたカワゲラに関するインターナショナル・シンポジウムに出席するなど国際的な活動を展開

平成  二年 福島県文化功労賞受賞

○ 現在の主な役職

・ 会津松保会理事

・ 会津武家屋敷常務取締役

・ 日本昆虫学会会員

・ 会津生物同好会顧問

・ 湯川を美しくする会顧問

 

 

 


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は情報提供者及び福島県教育委員会に帰属します。