教育福島0153号(1991年(H03)02月)-006page
![]() ![]() ![]() |
![]() ![]() |
提言
思い出の恩師
福島県立会津短期大学長
高瀬喜左衛門
![]()
【筆者紹介】
高瀬喜左衛門・たかせきざえもん
大正十二年 会津若松市に生まれる
昭和十五年 県立会津中学校卒業
昭和二十年 京都帝国大学理学部物理学科卒業
昭和二十一年 会津中学校勤務
昭和二十二年 合名会社白木屋漆器店代表社員
昭和二十七年 株式会社白木屋漆器店社長
昭和二十七年 会津短期大学講師
昭和三十年 会津短期大学非常勤講師
昭和四十三年 会津若松市長に就任す
昭和五十五年 会津若松市長を退任す
昭和五十九年 財団法人竹田綜合病院理事長
昭和六十二年 県立会津短期大学長
ひとより三文軽い、と言われる「年寄りっ子」だった私は、それと気付かれる間もなくするりと膝の上にダッコして「先生、これ読んで」などと、家から持参した本を読んで頂いたりしたものである。一年に入学したばかりのことであった。
二年生になると、この先生の夫君が校長になられたので、その当時の慣習に従って退職された。低学年の子供にとっては、母を失うショックに近いものがあった。
四年生から卒業まで受け持っていただいたのは若い男の先生で、我々の三年先輩の組が一サイクル担任してもらった後だから、師範を卒業して四年目ということになろうか。
この先生には本当に御世話をおかけした。生まれた時「しなびヤヤ子」だった私は、このころはまだ虚弱で、朝礼の時間すら耐えられず、時々貧血をおこした。そのくらいだから、遠足は楽しかったけれども、運動会は大嫌いだった。走ってみるまでもなく、大体ビリッコに決まっているのだから。
その私が鉄棒の逆上がりは容易にこなせた。この先生から
![]() ![]() ![]() |
![]() ![]() |