教育福島0154号(1991年(H03)04月)-021page
随想
日々の思い
開放講座に想う
橋本英子
昭和四十八年社会教育にかかわって以来、暖かい出会いが沢山あった。婦人教育を担当し私も何か役に立てたら--と思うようになったのは、市川房枝さんにお会いしてからである。高齢にもかかわらずその話は、生き生きと情熱的であった。この若さはどこから来るのだろうと思った。頑張って下さいねと肩に手を置かれた時の暖かいまなざしを今も覚えている。今回の出会いはそれにも似ていた。昨年本校は、県より高校開放講座の依頼を受けた。賛否両論の末、「敬学ゼミナール」と称して開講することになり、私もスタッフに加わった。男性十二名女性三十二名の応募があった。平均年齢五十歳、最高七十七歳。夜六時から八時半まで。ある時は九時半ごろまで和室は熱気に溢れた。私は健康講座六時間を担当。健康と生き甲斐を説いた。スポーツトレーナーの資格も役立った。どうしても治らなかった肩の痛みが無くなったと腕を回して見せたAさん、長年患っている脚のため家の中に閉じこもっていたが、楽になりましたと手造りのビーズひょうたんを持ってきてくれたYさん。照れるやら、嬉しいやら、迷トレーナーにならずに済んでほっとした。文集づくりを提案したら全員快諾し、早速数人の編集委員を選出してくれた。
空を仰ぎながら星を数えたり、唱歌を口ずさみながら校舎を歩いたり、生徒になり切っていた。十一回の講座を終えて修了証書を受ける顔は、とても晴ればれとしていて美しかった。生涯教育の展望を図るチャンスに恵まれた喜びは、何にもたとえようが無いと異口同音に語ってくれた。文集が出来上がり反省会を開いた時は、同級会を開いたように嬉しそうに盃をくみ交わしていた。一高校が親しみ深くなりました、子どもたちが怠けたら叱ってやりますとそのまなざしは暖かかった。
人の痛みがわかるのは、自分がその痛みを知った時。その時人はやさしく暖かいまなざしをたたえると言う。受講生に交りながら、それらの人々の日々の生活の重さをも知った。
今年もまた開講して欲しいとの声が高まり、過日数人が集まった。PTAの教養講座にしよう、敬学ゼミ同窓生主催にしようなどと楽しそうである。私は顧問ですよと言われた。喜んで引き受けようと思っている。これこそ地域に息吹いた生涯教育であり、私の願いでもあった。暖かい出会いを大切に育てたいと思うこのごろである。
(福島県立安達高等学校教諭)
先生、うまかったよ
星陽子
(さて、今年のお花見弁当給食は何にしようかな。子供の日は笹巻きにしてあげたいけど、まだ笹がないから今年も五目ふかしにするか。)午前中の忙しい給食作業・指導が終わり、午後の事務処理の間、ホッと息をつきながら私は頭の中で来月の献立のことを考えています。
私が学校給食に携わり十年が過ぎました。新採用で何も分からず、がむしゃらに過ぎた一年目。そして少しずつ学校給食というものが分かるにつれ悩みも増えてきました。
子供たちにおいしくて栄養のあるものを食べさせたい。山村の狭い食生活環境の中でも色々な食べ物を食べさせてあげたい。子供たちがおと