教育福島0157号(1991年(H03)09月)-029page

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プリが加味されたところにある。

私は、繊細で詩的で、ガラス細工のような彼の作品に心引かれる。例を挙げれば、「道化師の朝の歌」(Alborada.delgraciosoというスペイン語のタイトルが付いている)である。もともとピアノ曲であるが、ラヴェル自らの手で管弦楽に編出された。人間の勝手気ままさを道化師の姿で表現し、そこに洗練されたスペインのリズムを融合させている。この曲を聴くと、一晩中飲んで酔いつぶれ、薄ら青白くなった頃に、千鳥足で、朝帰りをする道化師の姿が思い浮かぶ。また、非常にクールな不協和音のアルペジォや鋭いカスタネットによって、凍りつくような青い世界が想像される。

私の「お気に入り」について、思いつくままに書き連ねてしまった。おしゃれでキザで、ほんの少しアイロニーを含んだ彼の作品と共に、物憂げな午後のひとときを過ごしてみてはいかがだろうか…。

最後にもう一曲、安らかな眠りに就く時の音楽…ピアノ協奏曲卜長調の第二楽章を、お薦めしたい。この曲をかければ、フイン色のゼリーの中、どんどん沈んでいくような眠りに誘われるはずである。

(県立西会津高等学校教諭)

 

自然に学ぶ

飯間香保子

 

の国宝阿弥陀堂上流まで、約六キロメートルを新川の流れに沿ってさかのぼる。

 

平成三年七夕、いわき市平市民会館わきの土手から内郷白水の国宝阿弥陀堂上流まで、約六キロメートルを新川の流れに沿ってさかのぼる。

梅雨晴れの暑い日曜日である。

いわき地域環境科学会主催の「初夏の新川べりを歩く会」の参加者は約七十名、そのうち四十五名がわが内郷第一中学校の生徒たち。

自分たちが生まれ、育ち、生活している町「内郷とを流れる川、それが新川である。しかし、その上手をこんなにも長く、しかも、目的を持って歩くのは初めての生徒ばかりである。

調査のポイントは、植物の分布・野鳥や虫の生態・水質検査・水生動物の観察・ゴミの有無・古老の話など、地図と調査記録用紙をもち歩くこと五時間余--。時には、土手のみならず川原、水辺、水流合流地点の水の中に--。今まで漫然と眺めていた新川の数々の命の連鎖が驚きとともに見えてくる。

カルガモが一家で泳ぎ、セグロセキレイやオオヨシキリが鳴く。アシやホテイアオイそしてガマが水際まで茂り、富栄養化を物語る。水辺に遊ぶ人影はない。生活排水特有のにおい、油膜、洗剤の泡、イトミミズとオイカワ、ポリ製品の散乱、それに古いタイヤまでも捨てられている。

やがて流れは速さを増し、オイカワが群れをなして泳ぐのが見える。カジカガエルの声とヘビトンボの幼虫、そしてカゲロウなど水生動物の種類が変わり水が澄む。釣り人の姿が見える。自然はまさに生徒たちにとって大きな生きた教科書である。

中学三年理科の第二分野では、特に意図して、「自然を先生にして、生徒一人一人が自分で気づいた課題を基にし、地球の未来や環境問題を考え、調査結果をまとめて発表する時間」を設定している。そして、いつも話すことは、「地球上に生存する数多くの生物の中のたった一種類のホモ・サピエンスが、我がもの顔で地球をひとりじめしてはいけない。もっと謙虚に、もっと賢く地球の一員として生きていこう。」である。

古人いわく『自ら学ばないものは、他を学ばせることはできない。』と

わたしにとっても、自然は、地球は、大きな生きた教科書なのである。

夏休みは、心の充電期。昨夏は赤道直下のシンガポールとマレーシアの樹々や花を観て、さらに北は北緯四十五度の竜飛岬のブナ原生林に遊んだ。今夏もまた、花を追い、草木を尋ね、樹々や山々に問う時間を持ちたい。そして二学期、心身ともにパワーアップして、大きな生きた教科書で、生徒とともに学び続けたいと考えている。

(いわき市立内郷第一中学校教諭)

 

子育てと仕事の間で

佐藤貴子

 

今春、前任校で担任として初めて送り出した卒業生から、次々と近況

 

今春、前任校で担任として初めて送り出した卒業生から、次々と近況

 

 

 


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