教育福島0158号(1991年(H03)10月)-023page

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随想

日々の思い

 

自然とのふれあい

大橋光夫

 

願い活動する姿を目にし、子どもたちの気持ちをそぐようで、思いとどまった。

 

ある雨上がりの朝、いつものように、学童農園で野菜に水をやっている生き生きとした子どもたちの姿が見られた。「朝まで雨がふっていたから、今日は水をあげなくてもいいよ。」といいかけたが、子どもたちが土に親しみ、植物の成長を願い活動する姿を目にし、子どもたちの気持ちをそぐようで、思いとどまった。

私は、常々、感じていることであるが、子どもたちと自然との触れ合いの場が年々失われているように思えてならない。自然に恵まれた環境の中にありながら、自然とのかかわりを持ち、自然の中で生活することの素晴らしさを意識せずにいるとしか思えないことが随所にみられるからである。

花壇の除草をしている様子を見ていても、土に触れようとしない子や根ごと引き抜くことを知らない子、花と雑草の区別のつかない子がいたり、清掃時に雑巾のしぼり方ができない子がいたりするなど、体験の希薄が感じられる。

このような体験の希薄は、子どもたちを取り巻く社会環境がそうさせているといって、過言ではない。

学校が終われば塾に通い、暇のあるものはテレビやファミコンで遊ぶといった具合で、外遊びのできない子どもが多くなり、自然とのかかわりをもった遊びはどんどん少なくなるばかりである。こうした都市志向にみられる一人遊びの様相が地方にまで及んできている。また、農家の子どもといえども、音のように田畑の手伝いをする子どもは、ほとんど見られなくなった。というよりは、農作業のほとんどが機械化され、子どもの手を借りる機会が失われてしまったのである。

私の幼小のころを思い出すと、遊びや手伝いの中に、季節に応じていろいろな自然との触れ合いの場があった。その一つ一つの体験が私の身となって現在があるように思う。

本校では、緑化運動や農園活動など、自然との触れ合いを重視し、児童活動をおし進めているが、地域の素材の教材化や体験を通した学習を重視し、子どもたち一人一人に地域の自然とのかかわりを身をもって体験させることは大変重要なことであり、豊かな人間性を育てていく上で欠くことのできないものであろう。

職員室の窓から、「野原の虫と遊ぼう」の授業に出かける二年生の子どもたちの笑顔が見える。雨上がりの朝、農園の野菜に水をあげたあの日の子どもたちのように、満ち足りた顔を見るたび、救われたような気持ちになるのは私だけであろうか。

(岩瀬村立白方小学校教諭)

 

日々の歩みの中で

古宮寛子

 

かつて卒業生に、

 

かつて卒業生に、

「卒業は一つの頂上に達した日であり、更に新たな出発の日である。」と話したことがあるが、教職にある私たちの頂上とは、いつの日になるのであろうか。今年度は、教員生活二十年目を迎えた私にとっては、初めの一歩から今日まで、多くの先輩、父母、子供たちからたくさんのことを教えられた二十年であったように

 

 

 


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