教育福島0158号(1991年(H03)10月)-024page

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思われる。

昭和四十七年四月一日、一枚の辞令を手に、迎えに来て下さった校長先生の背を見つめながら、大沼郡昭和村立大芦小学校に赴任した。不安が広がっていた私に、Y校長先生は無言であった。が、その背中は、

「大丈夫。がんばるんだよ。」

と語りかけているようで、たいへん勇気づけられたことが、今はなつかしく思い出される。

どの職場に行っても、先生方には多くのことを教えていただいた。その教えを全部吸収しようと努力してきた私であったが、頂上どころか中腹にもさしかかっていないと思われる。

昨年は、A子の父親から、

「先生長い目で見てやって下さい。」と言われ、心の目が開かれた思いがした。それは、八年ぶりの低学年を担任し、今まで学んできたことを生かしてがんばってみようとはり切っていた日々。A子は一人、学級のみんなとなじめなかった。よくみんなにいじわるをした。私はあせって個別指導をした。しかし、効果は上がらず、一学期が終わった。今、落ち着いて考えれば無理もないことだと思われる。A子は、小学校入学直前に、母の再婚で、この地に転居したばかりであった。子供心に現在の生活に順応しようと努力していたのである。父親の言葉を聞いた時は、A子の心の奥を見つめて指導できなかった自分の指導力のなさに恥ずかしくなると共に、親の教えに深く感謝の念が生じた。

A子も現在は二年生。学級の雰囲気にすっかり融け込み、元気に学校生活を送っている。級友に対する思いやりも育ち、見違えるような変化を遂げた。

今までは、たくさんの先輩に囲まれ教え導かれることが多かったが、最近は若い先生方が驚く程多くなってきた。若い先生方の豊かな個性とバイタリティーには学ぶべきものが多々ある。そうしたものを吸収しながら、私が二十年間学んできたものを伝えることも大事なことではないかと感じる。それにしても、すべての人の教えを素直に受け入れる気持ちを失わずに歩んでいきたいと思う。

(霊山町立大石小学校教諭)

 

教壇の道化師

小野善寿

 

もしれない。どちらも人前で何かやるのだから似ていないこともないからね。」

 

「もし、今の仕事に就いていなかったとしたら、教師になっていたかもしれない。どちらも人前で何かやるのだから似ていないこともないからね。」

これはラジオから聞こえてきた、ある若手ロックミュージシャンの言葉である。

確かに生徒達と観客とを同格と考えれば似てくるかも知れない(異論は多くあろうが)。そして、ミュージシャンが興奮した観客を前にして喜びを感じるように、授業における教師も自分に注目する生徒達を前にすれば喜びを感じるだろう。

私にもこのような喜びを感じた経験がある。残念ながら私の力量とは関係しない全くの偶然によるものだったが。

それは一羽のモンシロチョウが教室に迷い込んで来たことが発端であった。つまらない話に飽きた生徒がチョウを捕らえようと追い始めると教室は騒然となった。その中を逃げ惑うチョウは救いを求めるかのように私の鼻の上に止まった。

「チョウにだって優しい人間とそうでない人間とを見分けることができるようだ。」

などと悦に入って生徒達を見回わすと、誰もが私の鼻先へ眼を輝かせていた。

チョウの気まぐれが原因であったが、教室全体が私に注目したこの一瞬はとても気分が良かった。

この時のように生徒達の関心を引きたいと思っていても、簡単にはチョウはやって来ない(その上また鼻に止まったりしない)から、自分で何か方法を講じなければならない。

実物やモデルを示すことのできる場合は問題ないが、どうしたって講義形式だけになってしまう場合もある。そうなれば日常生活から話題を探し出したりするなど一般的な方法しか思いつかない。

そして結局は安易な方法を選択することになってしまう。おもしろおかしく話を進めて、笑わせたり驚かせたりしながら生徒達の気を引くのである。テレビ番組の視聴率獲得方法と同じだ。気がつけば私は道化師

 

 

 


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