教育福島0158号(1991年(H03)10月)-039page

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を図る等のために、多種多様な学習を志向し、それに対応した適切かつ十分な学習機会を求めている。

それにもかかわらず、場所・教える人・きっかけ・仲間・時間がないなどの理由で学習できないでいる人が多い。このような人々のために、それらの疎外要因を除去し、提供することが生涯学習を振興するために大切なことである。

現在、人々は皆、自らの生きがいや心の豊かさを求めて、人生の各段階で様々な学習・文化・スポーツ等の活動を行い、それらを通して何かを見聞き・知り・学ぶという新鮮な体験を自分自身の糧としている。これらの活動は、いずれも人々が自分の自発的意思に基づいて行っているものであり、その分野も、スポーツや文化活動を楽しむことから様々な知識・技術を学ぶことまで広範に渡っている。このように各人が、生涯に渡っていつでも、どこでも、誰でも行うことができ、また実際に行っている活動が生涯学習なのである。

今までの日本の社会の問題として他人のために社会のために働く生きがいばかりを求めてきたことが指摘される。しかし、自分のために楽しむ生きがいがこれからは重要になってくる。特に、平均寿命が伸びた今日、六十五歳以上の高齢者に楽しむ生きがいがなくてはならない。

例えばピアノ教室等、お年よりのためのピアノ教室があってもよいのではないか。ピアノを習う人が全てプロのピアノ弾きになるというのではないから、バイエルとかの基本から教えるというのではなく、その人の好きな曲を弾けるようにするというような教え方もあるはずだ。また、これは女性がするものだ、あるいはこれは、若い者がするものだと固定的に考えていはしないか。例えば男の編み物教室があってもおかしくないし、老人がファミコンに夢中になるのもよい。これは、だれだれがするものという概念をとりはらって考えてみてもよいのではないかということである。教育をしようとする人はどうしても自分の尺度で教えようとする。生涯学習は教育とは違うという眼目はこの辺にある。楽しみながら生きがいを求めていってもらおうというのである。

ところで、一番生涯学習の場に出てこない層は、仕事で忙しい青壮年男子である。しかし、この年代に何かやっていないと、仕事から開放され、時間ができる高年齢に達したとき、学習に参加するのが難しくなってしまう。若いときにスポーツもなにもやらなかった人に六十歳をすぎてからいきなりスポーツをやれといっても抵抗がある。

また、学校に行っている者には、生涯学習が不必要かというとそうとはいえない。学校は、基礎基本の習得、自己教育力の育成という使命を持っているが、それだけでは十分ではない。

若い頃から老後の生き方につながる自分固有の楽しみを見つけていかなければならない。その意味で学校教育以外の青少年教育が大切になってくる。今でも、スポーツ少年団活動などは活発に行われているが、そうした少年団活動をスポーツ以外の分野にも、もっと広げてもよいのではないか。スポーツの苦手な子供達には美術少年団とか音楽少年団とかがあってもよいのではないか。

こうした中で、昭和二十年代に盛んだった子ども会、青年活動や地域での活動をもう一度見直す必要もでてきている。

このように、世の中は生涯学習を人生のトータルのものとして考えていこうとする方向に向かっている。

生涯学習の場は、学校はもとより公民館、図書館、美術館、カルチャーセンター、体育・スポーツ施設、企業、職業訓練施設等様々であり、多様になっている。それらの学習機会はともすれば分野ごとに独自に提供される傾向があるが、関係行政機関、学校、関係施設などの連携協力により学習者にとって利用しやすい体制を整えていく必要がある。

このようなことから「生涯学習の振興のための施策の推進体制等の整備に関する法律」が平成二年七月一日から施行されることになった。

この法律の性格を最も鮮明に特徴づけるのは、第三条の規定である。

第三条では

1) 学習者の自主性を最大限尊重するよう配慮しつつ、施策を推進すべきこと。

2) 職業能力の開発、社会福祉等生涯学習に関連する事業を行うあらゆる部門と連携を図っていくべきことの二点をうたっている。

これらの事項は、この法律を貫く一つの精神であると同時に、生涯学習行政を行っていく際に欠くべからざる重要な要素である。

 

 

 


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