教育福島0159号(1991年(H03)11月)-004page
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文化の窓
県立博物館企画展
ふくしま
鉱山のあゆみ
−その歴史と生活−
会期一月十八日(土)〜三月十五日(日)会場県立博物館
鉱山における労働や資源開発に払われてきた努力が我々の目に触れる機会は少ない。鉱山の多くは人里から離れた山奥にあり、我々の日常生活からは遠い存在だからである。それにもかかわらず、ほとんどの金属を始めとして、資源(物質)の大半は地下資源として鉱山からもたらされており、幾多の労力とたゆみない技術が鉱山の開発・経営に注ぎ込まれてきた。
福島県でも、近世初頭より開発の手が加わった半田山を始めとして、近代の産、業革命期以降における会津の黒鉱、エネルギー資源としての常磐炭田の開発など、数多くの鉱山が開発されてきた。この過程で、必要とされる資源は、単に貨幣経済を担った貴金属から、工業原料として用いられる卑金属、あるいはエネルギー資源へと歴史的に変化してきた。また、鉱山には常にその時代の最新の技術が導入され、資源開発の場は、産業技術の発展の大きな舞台でもあった。
しかし現在、資源の開発・供給の枠組みは世界的な規模で変化しつつある。小規模な鉱山は次々と廃坑になり、国内の鉱山は今やその歴史的使命を終えたかに見える。このような時期に、残された資料から、かつて日本てそして福島県で開発された鉱山の歴史・技術・生活の跡をたどり、歴史の流れのなかで、資源開発の持つ意味とは何であったのか、また、鉱山で働く人々の世界とはどのようなものであったのかを紹介する機会としたい。
半田銀山絵図(部分) 江戸時代後期 桑折町史編纂室所蔵
鼓銅図録(東北大字附属図書館所蔵)
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