教育福島0159号(1991年(H03)11月)-006page

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提言

木によって実を知る必要

福島県文化功労賞受賞者 三谷晃一

 

【略歴】

 

【略歴】

三谷晃一・みたにこういち

一九二二年安達郡本宮町生まれ。旧制小樽高商(現・小樽商大)卒。四六年福島民報社入社。編集畑を歩き、六七年、取締役郡山支社長、同七七年論説委員長。七九年同社を退社、八九年まで同社編集顧問。この間、「蝶の記憶」など詩集九冊、郷土の味覚探訪「ふくしまの味」、旅行記「グァダルキビル河のほとり」を出版。三期九年の県現代詩人会長など。それまでの活動により、八九年「郡山市文化功労賞」、九〇年「福島県芸術功労賞」、九一年「福島県文化功労賞」を受ける。日本現代詩人会会員、社団法人日本文芸家協会会員、福島県現代詩人会名誉会員。ほかに郡山女子大短大部非常勤講師(日本近代文学担当)、福島地方裁判所・郡山簡易裁判所民事調停委員、郡山簡易裁判所司法委員。

 

終戦直後の世の中や教育現場の混乱はよく知られている。あれからおおよそ四十年の月日が経っているので、あれは過去のことだとだれもが思っているだろうし、時にその時代を振り返るひとがいても、それを「歴史」として見る場合が多いだろう。しかし私には、どうしてもこの時期のことが気になる。そんなふうにあっさりと、この時期のことを過去へ追いやってしまってもいいものかどうか。

たとえば、第一次のベビーブームというのがあった。仮に昭和二十二年に生まれた子どもがいるとすると、彼はもう四十代の半ばを過ぎている。彼に子どもがいれば二十歳前後に達しているだろう。あの混乱のなかで、学校や家庭が彼に満足な教育やしつけを授けなかったとすると、彼はどんな教育やしつけを子どもたちに為し得たであろう。「木は実によって知られる」という言葉がある。戦後の子どもたちはいわば「木」だ。そこからたくさんの「実」が成った。それがいまの青少年たちだ。「実」の悪口をいう人たちは、その「木」がどんな育てられ方をしたかを調べなければなるまい。私の不勉強かもしれないが、このような角度からの納得のいく調査や立論に出会ったことがな

 

 

 


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