教育福島0159号(1991年(H03)11月)-007page
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い。「木」によって「実」を知る必要が生じている。私は教育の専門家といわれる人たちに、このことを強く求めたい。
「今どきの若い者は」などと青年を見下してはいけないと戒めたのは、太平洋戦争で知られた山本五十六将軍だが、前代が後代の悪口をいうのは随分昔からのことのようだ。ということは、前代は例外なく後代の悪口をいうものだと考えてよい。しかし、一般的にいえる平凡な真理は、どの時代にもいい人間と悪い人間がいるということで、問題は「悪い人間」のパーセンテージがどのくらいになるか、ということに尽きる。いま青少年のあり方について議論が多いのは、そのパーセンテージが高いと人々が考えているせいだろう。 「悪い」という表現は正確ではなく、「質が落ちる」ものもあれば、生きることに対して「真率でない」、あるいは社会に対して「無責任である」といったケースも含まれるだろうが、いずれにしてもオトナたちがある不安を感じていることに間違いはない。
この不安が根拠のないものだとは思わないが、彼ら青少年が、親たちや親たちが属した社会から授けられなかった(あるいは偏って授けられた)部分で、表面にはっきりと表われぬ暗部、隙間を抱えていることだけは確かだと思う。いわゆる欠点とか短所ではなく、あくまでも暗部、隙間、心の深層に属するもので、明確に形としてとらえられぬ点が始末に悪い。難しい仕事ではあるが、もしそれが戦後の混乱に由来しているかどうかを、一々具体的に明らかにできれば、これからの教育を考えるうえで大きな助けになるだろうと思っている。当事者である一般の親たちには、それに対応する方策はなにもないはずだから。
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▲平成3年11月3日,佐藤栄佐久県知事より晴れの表彰を受ける筆者(左)
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