教育福島0159号(1991年(H03)11月)-023page

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随想

日々の思い

 

子どもと共に学ぶ

中原久美子

 

びはね回る子どもたちの巻き起こすいろいろな事にとまどいを感じる毎日です。

 

新採用教員として五年三組を担任してから、あっという間に二学期も一か月が過ぎてしまいました。何もできないままあわただしく過ぎてしまった一学期を反省し、「よし、二学期こそは。」と決意を新たに望んだものの、元気いっぱいに跳びはね回る子どもたちの巻き起こすいろいろな事にとまどいを感じる毎日です。

そんな中、算数の単元末テストを行った時のことです。この単元は、「先生、もっと問題だして。」と、これまでにないほど授業中に声が飛び交い、子どもたちも楽しんで取り組んだ学習でした。「おれは算数が大嫌いだ。」と言って普段はまるで見向きもしないA君も、「先生、今日の算数の宿題、絶対やってくるからね。」とめずらしく意欲的で、私も思わずうれしくなったほどでした。

ところが、テストを終えてみるとそのA君が、うつむいたまま声もたてずにぽろぽろと涙をこぼしているのです。一体どうしたのだろう。テスト前はあんなに張り切っていたA君なのに--と不思議に思った次の瞬間、私ははっとしました。「A君、テストができなくてくやしかったの。」と聞くと、A君は黙ってコクッとうなずいたからです。

私はぐっと胸がつまる思いがしました。A君は、大嫌いだと言っていた算数に真剣に向かっていたのです。けれど、私はこの子のそんな思いを十分に満足させてあげることができなかったのです。それまでの私の授業は自己満足でしかなかったことを思い知り、私はすぐには言葉もでませんでした。「先生はA君がそんなにくやしいって思うほど算数に真剣になってくれて本当にうれしい。けれど、A君にもっとわかるように教えてあげられなかった先生にも責任があったね。これからは、A君にもみんなにももっとわかるように教えられるよう、がんばって勉強する。だからA君もがんばって。」

どの子も、わかりたい、できるようになりたいと願っています。そんな切実な願いに、果たして私は十分にこたえてきたのだろうかと我が身を振り返ったとき、私の心は恥ずかしさと情けなさでいっぱいになります。子どものできないくやしさに泣きぬれた顔はもう見たくないとつくづく思います。「わかった。」「できた。」と喜びに輝く笑顔を一人でも多くの子どもに見つけることができるよう、一時間一時間の授業に真剣に望んでいかなければと痛切に感じています。そして、これからも子どもと共に学び続けていく教師でありたいと思っています。

(会津若松市立城北小学校教諭)

 

クリスト

三條敦

 

ノ渡って高さ五mのカーテンを走らせたりと、とにかく彼の作品には驚かされる。

 

クリストの作品は感動的だった。世界的な現代芸術家のクリストは、今回、日本で大々的な作品を発表した。作品は茨城県の美里村から太田市にかけての国道349号線沿いに広がっていた。彼は梱包の芸術家と呼ばれ、自分を取り囲んでいるものを梱包し、梱包されたものの美しさや、梱包した内側を魅力的に表現してきた。彼に梱包されてきたものは、本・椅子・標識・女性・車・塔・道路・橋・ビル・空気・岸壁・風にまで至る。また、彼は、より大きなプロジェクトに挑んでいる。例えば、海を大きな布で包んでしまったり、山と山の間に巨大な布のダムをつくり上げたり、四十kmに渡って高さ五mのカーテンを走らせたりと、とにかく彼の作品には驚かされる。

 

 

 


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