教育福島0161号(1992年(H04)02月)-017page

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随想

日々の思い

 

洋上研修に参加して

塚原路英

 

共に、我が「おりえんと・びいなす号」は、東京の晴海埠頭を後にしたのです。

 

「ボーッ」という汽笛と共に、我が「おりえんと・びいなす号」は、東京の晴海埠頭を後にしたのです。

平成三年七月二十一日から十一日間、私は初任者を対象とした文部省主催の洋上研修第一団に参加しました。この研修には、北は福島県から南は宮崎県までの全国十都府県より約四百五十名の小・中・高新任教員が集まりました。

研修内容としては、船上における研修と寄港地における研修があり、船上では講義や洋上運動会、研究発表会等が行われました。また寄港地北海道では、太平洋炭鉱展示館、摩周湖、酪農家、納沙布岬にある北方館を、九州では、九州歴史資料館、太宰府天満宮、日産自動車(株)九州工場等を見学し、それぞれの地域の伝統文化や産業の特色を理解し、識見を深めることができました。

この研修を振り返ると、私には、さまざまな出会いがありました。

三月に大学を卒業してから、あたかも自分の力だけで生きているような錯覚に陥っていましたが、この研修中、多くの素晴らしい先生方に出会い、少し忘れかけていた励まし合い、そして助け合う心に出会い、はっとしました。また、研究発表会や洋上運動会では、皆で団結し、一生懸命取り組む姿に情熱を感じました。

私は日頃、自然との関わり、あるいは自然の力というものをあまり意識せずに生活してきました。しかし、北海道の自然の雄大さ、美しさにはすっかり魅了され、また、その数日後、食事時テーブルに置かれたフォークやナイフが床に落ちる程、船が揺れた海を目のあたりにした日は、自然の恐ろしさにただ震えていました。このような自然の姿の二面性にも出会いました。

さまざまな出会いの中で、一人一人が人間として独立し、大きな波に呑まれることなく自分のやり方を推進することが必要であり、自主的に行動することや協調性も要求されました。そして多くの先生方と意見を交わす機会であると同時に、自分自身を見つめ直す絶好の機会でもありました。

この限られた空間、時間の中で、知見を広めるとともに、相互に交流し、教員としての一体感を養う、というこの研修の目的を果たし、私たちは、さまざまな困難を乗り越え、研修前より強くなれたように思います。私自身、まだまだ未熟ですが、この研修で得たことをもとに、今後も情熱と感動する心を忘れず、頑張っていきたいと思います。

(県立福島西女子高等学校教諭)

 

東北に住んで

斎藤順至

 

もう十年以上にもなる。その間、いわき市、双葉郡、相馬市と移り住んできた。

 

東京で生まれ育った私は、大学時代は青森県、教員の駆け出しの頃は岩手県で過ごした。福島県に来てからは、もう十年以上にもなる。その間、いわき市、双葉郡、相馬市と移り住んできた。

今なぜ、私が東北の地に住んでいるかであるが…私が通っていた中学校では、毎年、夏休みになると希望者を募って林間学校を行っていた。それに一度参加したのが、そもそも東北の地に住むようになったきっかけと思っている。

それまでは、両親が兵庫県の出身ということから、東京より西方には行ったことはあったが、東北はこの時が初めてであった。

裏磐梯の檜原湖畔でキャンプをし、先生や友だちと泳いだり、ハイキングをしたりした。檜原湖や磐梯

 

 

 


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