教育福島0161号(1992年(H04)02月)-018page

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山も好きになったが、中でも、ひと気のない静寂な雄国沼の美しさは、また格別であった。まるで別世界に迷い込んだような深い印象は、そのまま私の脳裏に焼きついてしまったのである。高校の修学旅行のときでも、奈良・京都、四国、東北方面のコースの中から、迷わず東北を選んだのは言うまでもない。東北の魅力が、いつしか憧れへと変わり、いつかは東北に住みたいと思うようになっていたのである。

これまで、東北地方の数多くの山々、様々な海を見てきた。あちこち旅するだけで、心が豊かになったような気分になるものだが、特に、尾瀬探勝会や同僚に連れられて縦走した飯豊連峰、家族でスキーを楽しんだ冬の蔵王などが忘れられない。

東北には、こうした名勝に限らずごく普通の地にも、宮澤賢治の作品の世界にも見られるような透明な空気や雰囲気のようなものが感じられる。そして、その空気や雰囲気の中から、東北特有の人のよさ、他人との対応でのやさしい間(ま)の取り方などを肌で感じるのである。

東北での生活で最初に困惑したのは、言葉の理解ができなかったことである。うまく共存していけるか、憧れが不安へ転じたこともあった。以来、発音や言葉が多少異なる、全く未知の人々とお付き合いすることとなったが、どこへ行っても親切にしていただいた。今では、言葉に対する不安は全くない。むしろ、私を受容してくれる人々の人情の厚さに感謝している。

東京の実家に帰省すると、兄や姉から、「やっぱり、なまっているね。」と言われる。自分では気付かないうちに、東北の空気やにおいが私の体の中に浸み込んだのだろうと、うれしくなるこのごろである。

(相馬市立中村第二中学校教諭)

 

学校給食について思うこと

酒井良枝

 

く食べている。」「給食は栄養価ばかりで愛情がない。」などというお話です。

 

私が勤める郡山市中学校給食センターは、十一の中学校を担当し、一日六千五百食作っています。毎年、所長と栄養士で全学校を訪問し、準備や食事などの様子を参観するとともに、要望や意見などを伺っています。その中で一番多く耳にするのは「まずい。」「まずくても食べるものがないから仕方なく食べている。」「給食は栄養価ばかりで愛情がない。」などというお話です。

私たちは、青菜を美しい緑色のまま食べて欲しいと思い、塩を入れた熱湯にさっとくぐし、最後にシチューや煮物に入れて混ぜるなど工夫を凝らしています。しかし、このように工夫して作られた料理も、食缶に入れて一〜二時間置かれるために、きれいな緑色は茶色に変わり、おいしさも損なわれてしまいます。「できたての料理を食べさせてあげられたらなあ…」といつも思ってはいますが、これがセンター給食の難しさで、苦労しているところです。

また、子どもたちに喜んでもらえるようにと、調理に手間のかかる献立にも取り組んでいます。そのため、調理の方々に早出を無理にお願いしたり、八百屋さんにも無理を承知で早朝の配達をお願いしたりする場合もあります。見た目があっさりした料理だと「手抜き」と言われたり、手のこんだ料理があたりまえのように思われがちですが、給食に携わる人たちの目に見えない努力があることを子どもたちに伝えていかなければならないと思っています。

味付けについては、厚生省から、「塩分は一日十グラム以下。」と示されていますが、東北地方では味の濃いものを好む傾向が強いため、塩分を取り過ぎてしまいがちです。平成元年度の国民栄養調査によると、福島県の一日一人あたりの塩分摂取量は十五グラムです。東北六県の平均(十三・五グラム)と比べても多く、改善の必要があります。

これを改善するには、子どもたちが給食の健康的な薄味に慣れ、塩分の少ない料理を好むようになることが大切であると思います。そして、その子どもたちの好みが家庭にも普及すれば、大きな改善につながります。今、子どもたちは、味が濃いとよく食べてくれますが、だからといって味を濃くするようではいけないと思っています。

最後に、「給食を食べていると成人病になる。」と心配される先生がおられますが、中学生のための給食は先生方には栄養価が高過ぎるという面は否定できません。先生方には、食べる量を加減するなど、健康管理していただければと願っています。

(郡山市立行健中学校栄養技師)

 

 

 


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