教育福島0162号(1992年(H04)04月)-006page

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提言

 

脳死とは

福島県立医科大学長

伊藤司

 

にいささかも反するものでないことを本文において簡単に述べて見たいと思う。

 

平成四年一月二十二日、臨時脳死及び臓器移植調査会(脳に死臨調)は「脳死を個体の死とする」という最終答申を発表した。この答申は、国民各層に大きな反響と論議を惹き起こすことになった。そのよって来たる最たる理由は、従来、社会的に認められてきた死の概念--通常、心臓死と呼ばれている状態、すなわち自発呼吸及び心拍動の停止と瞳孔散大の二つ(三徴候)が揃うこと--に加えて脳死というこれまでにはなかった新しい死の概念が立ち入ったことによるものであろう。つまり、人の死と呼ばれるものに二つの異なる状態が存在するのではないかということであろう。もしも、そういうことであれば大変なことである。筆者は、長年、神経解剖学に携わってきた者として、脳死を個体の死と認めるものであり、それは従来の死の概念にいささかも反するものでないことを本文において簡単に述べて見たいと思う。

大脳と脊髄の間を脳幹部といい、その部位には呼吸中枢が存在して呼吸運動を司っている。この脳幹部が障害を受けて呼吸中枢が働かなくなると呼吸運動が停止して脳に酸素の欠乏が起こり、その結果、脳の機能が停止して人は死亡する。生命維持装置をしていない状態で、心臓が止まり、血液が脳に行かなくなって脳に酸素の欠乏が起こり、その結果、脳の機能が停止して死亡する個体死が「心臓死」である。

人間が死ぬということは、つまり、「脳が機能を停止する」ことである。

いま、人工呼吸装置を含む生命維持装置によって、酸素が

 

 

 


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