教育福島0162号(1992年(H04)04月)-021page

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随想

日々の想い

 

T君の涙

飯塚朝子

 

「せんせい−」

 

「せんせい−」

T君が今にも泣き出しそうな悲しい顔をして、私の所へかけてきました。私は、またT君が誰かにちょっかいを出して、反対に泣かされたのかなと思いました。修了式が終わり、園庭で子ども達とお別れの握手をしている時でした。

T君は、身長、体重とも平均的な六歳の男の子です。ふだんは、にこにこして大きな声で話したり、あいさつをしたりします。また、行動派で、いたずら好き、すぐに友達にちょっかいを出しては反対に友達から何かされ、すぐにめそめそするのでした。だから、年少組のころは、友達と遊んでいても長続きしない状態でした。

年長組になったある日のこと、T君を迎えに来た母親に、一人の女の子がこう言ったそうです。

「T君は意地悪するの。そして泣き虫なんだよ。」

母親からこのことを聞いて、私の心の目がパッと開かれた思いがしました。私自身、その女の子と同じ思いでT君を見ていたことに気がついたからです。これまでT君の欠点にばかり目がいって「困った子だ」と思っていたのです。子どもを見る私自身の目を反省させられた出来事でした。

それからは、T君の良い面にも目がいくように努めました。元気にあいさつができる、サッカーが大好きである、アンパンマンの絵を上手に描ける…などなど。こうしたことを私が努めて認めていったことで、他の子ども達のT君を見る目も変わってきたように思います。「T君、鶴を折るの上手ね。私にも教えて。」「いいよ。」という会話も多く聞かれるようになりました。好きなサッカーを通してM君とも仲良しになりました。

ところが、そのM君が父親の仕事の都合で福島市に引っ越すことになったのです。T君がその事を知ったのは、修了式の日でした。

 

「せんせい−」

と泣きながら私の所へかけてきたT君の次の言葉は、

「M君とお別れするの淋しい。小学校に行ったら、また一緒にサッカーしようと言ってたのに。」

私は思わずT君を抱きしめました。T君のその時の涙は、これまでの涙とは違っていました。あのいたずら好きでめそめそばかりしていたT君がいつの間にか、友達としっかりと絆をつないでいたのです。T君の成長を私は心から嬉しく思いました。

(浪江町立苅野幼稚園教諭)

 

子ども達を信じて

馬渕章

 

方に支えられ、そして子ども達にはいろいろな面で成長させてもらったと思う。

 

教職の道に就いて十二年目。現在の赴任校が三校目の学校になる。思えば、もうそんなになるのかと自分でも信じられないような気がする。その間、先輩の先生方にはいろんな事を教えていただき、同僚の先生方に支えられ、そして子ども達にはいろいろな面で成長させてもらったと思う。

現在の勤務校は七学級の小規模校ということもあり、昨年から教務主任を仰せつかっている。昨年は初めてのことが多く、戸惑いと失敗の連続であった。校長先生、教頭先生に励まされ、同僚に支えられながら何とか一年を終えることができた。今年度は二年目であり、昨年の繰り返しはしたくないと思いながらも、や

 

 

 


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