教育福島0165号(1992年(H04)09月)-023page

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随想

日々の想い

 

負けないための努力

青木崇郎

 

が、勝負にかける強烈な執念とそれを包む謙虚で温かなお人柄に感動しました。

 

昨年の夏、将棋の大山康晴永世名人の講演を聴く機会を得ましたが、勝負にかける強烈な執念とそれを包む謙虚で温かなお人柄に感動しました。

お話の中ではやはり大山さんの強さと努力の関係についてのくだりに興味がもたれました。中原誠名人が「史上最強の棋士」と讚える程の大山さんですが、「勝とうとする」よりも「負けない為」の努力を心がけてその強さを保ったと話された事については、確かに直接的な努力と考えられる事だけでも大変なものだと思いました。いつも体調を万全に整え、スランプに陥る前にその兆しを鋭く感じとって未然に防ぐ事とか、物事を確実に締めくくりミスを防ぐように心がけるとか、対局場では勝負にだけ精神が集中できるようにするという事などです。

しかし、さすがに非凡さを感じさせるそれらの努力も、程度の差はあれ一流の棋士ならば皆心がけている事ではないでしょうか。

それでは大山さんの強さはどのような努力によって生まれたのでしょう。疑問を抱きながら聴き入るうちに、その秘密は、直接将棋に関わらないもっと別の努力の中にあるのではないかと私は思いました。

彼が十二歳で木見九段に入門した時に、師匠からはまず「自己宣伝でなく長い間の実績によって世間の多くの人から信用される人間になれ。常に心身の姿勢を正せ。」と教えられたそうです。彼はそれを実践しようと努力し続けてきたという事です。この全人格的な大変な苦労を、背筋をピンと伸ばして淡々と話される大山さんのお姿には、既に「長い間の実績による信用」を得た人のどっしりとした自信と迫力が感じられたのです。私はその時、将棋を離れたこの努力こそ、迂遠なようでいて彼の真の強さの核を成すのだと思いました。まず人間を磨く努力を営々と続け、一生貫き通す。努力と強い意志力、それらが巨大な人格的迫力となって対戦する者をひたひたと圧倒し、大山さんに「負けない将棋」をもたらしたという事が実感されたのです。

大山さんの強さの秘密をとらえようとした私にとって、この講演は将棋の世界を超えて人間としての大きな目標を得る事ができた素晴らしいものとなりました。

ところが、去る七月二十六日、突然大山さんの訃報が伝わり、私は暫くただ茫然とするだけでした。しかし悲しみの癒えた今は、大きな目標と励ましを与えてくださった事を改めて感謝しつつ、静かに御冥福をお祈りしたいと思っております。

(県立福島女子高等学校教諭)

 

自然との共存

鈴木幹男

 

飛んでいるぞ。」と騒ぐのだが、私の子ども達は、思いの外、関心を示さない。

 

私は、時折、庭先でトンボなどを見かけると、「ほら、しおからトンボだ。」とか、「オニヤンマが飛んでいるぞ。」と騒ぐのだが、私の子ども達は、思いの外、関心を示さない。

しかし、先日、近津の八槻神社近くを車で通過中のこと、リスらしきものが道路を横切るのを見た時は、さすがに色めき立ち、

「あれはリスだ。」

「いやドブネズミかも知れない。」

「いやいや、あのふさふさしたしっぽからして確かにリスに違いない。」

「どうしてこんな所にリスがいるわけ?」

「これだけの杉の大木があれば、生

 

 

 


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