教育福島0166号(1992年(H04)10月)-026page
バルセロナ・オノンピックに感動して
秋山ユリ子
第二十五回夏季オリンピック・バルセロナ大会が十六日間にわたる日程を終え、八月九日に幕を閉じた。日本選手の活躍はすばらしく、金メダル三個、銀メダル八個、銅メダル十一個を獲得した。内容的にも柔道やマラソンの健闘が目立ち、八位以内の入賞数では、ソウル大会の三十八を大きく上回る六十一を記録し、若い選手の活躍に感激した。
たくさんのドラマはあったが、特に感動的だったのが、女子二百メートル平泳ぎの決勝。岩崎選手は残り百メートルを三位で折り返し、もしかしたらメダルがとれるかもしれないと、私は期待と不安に胸をドキドキさせながら、テレビにかじりついていた。残り五十メートルで二位に浮上、しかしトップとはかなりの差があり、無理かなと思った瞬間、すさまじいスピードで迫り、残り二十五メートルでノールと横一線、タッチで「どちらか」と息を止めた一瞬、「勝った」と思わず大声を上げた。すばらしい追い込みであった。この劇的な勝利に私も夢中で声援を送った。岩崎選手は十四歳で中学二年生。百五十七センチの小さな体で世界の強豪を相手に金メダルを獲得したのは、まさに驚きであった。「今まで生きてきた中で、一番幸せ」とうれし涙を流したあの顔を忘れることはできない。苦しい練習を積み重ねた結果の快挙だったのに違いない。
また、マラソンでも日本勢の活躍はすばらしく、男子で森下選手が、女子では有森選手が銀メダルに輝き、中山・山下選手が四位に入賞を果たした。有森選手は幼少期には足が弱かったが、その弱点を乗り越えての気力の勝利だった。
閉会式での選手達はスタンドに手を振り、抱き合い、心を一つに友情を深め合っていた。
心が荒廃し、無感動・無気力・無関心の時代とよくいわれるが、オリンピックはスポーツを通して、力強さと心豊かさ、そして可能性への挑戦について考えさせ、さらに一人ひとり違う喜びとつらさを表現してくれた。
物が豊富で経済的には豊かになった反面、つらいことから逃げようとするなど、心は貧しく、助け合いを忘れた淋しい社会になりつつある現在、養護教諭として「今、大切なのは何なのか」について生徒と真剣に考え、ものの見方や考え方が内面の深い所で感じとれるよう触れ合っていきたい。そして、このオリンピックや先輩教師から教えていただいた学びを基に、人間のもつすばらしさと人の心の大切さを、生徒に伝えていきたいと思う。
(表郷村立表郷中学校養護教諭)
真の勝利者
佐藤昌則
全日本教員ソフトボール選手権大会。私の所属する福島教員チームは、東北予選を勝ち抜き、八月に香川県で行われた全国大会に出場した。自チームの試合がない日、他チームの試合を観戦しているときのことである。滋賀教員対高知教員の試合で、心に残ることがあった。
「私は聞いていない!」
主審の毅然とした言葉が周囲に響く。五回表で滋賀教員の攻撃一死一塁、A投手が打席に入って第一球目を見送った直後、高知教員側からA投手の再出場の通知を受けていないとアピールがあった。滋賀教員のB監督は、前回終了時にA投手の再出場を告げたと主張するが、主審はこれを頑として受け付けない。上位進出をかけて互いに一歩も譲れない大事な場面であるだけに、自分の正当性をあくまで主張するのか、場合によっては選手全員を引き上げさせることにもなるのか……。私はB監督がどのような対応をするのか、ネット裏から成り行きを見守っていた。
しかし、ルールブックで確認した彼は、潔く新たな選手を打席に送り、自らは投球練習を始めた。意外であった。多分、胸中は悔しさでいっぱいであるにちがいない。好投していたエースを失うという苦しい状況の中で、彼は急造投手ながら、緩急で