教育福島0166号(1992年(H04)10月)-025page

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できる限りのことをしてあげたい。後悔はしたくない。そんな思いで二年余りやってきた。これからも手を抜かず援助、指導に励むつもりである。

生徒たちの進む道はそれぞれ違っても、教え子たちの未来に幸あれと願う私の気持ちに変わりはない。檜枝岐を離れても、故郷を、母校を忘れないで欲しい。

 

いつの間にかすっかり日は落ちてしまい暗くなった教室で、 一人感傷にふけっていた。

(檜枝岐中学校教諭)

 

「米国における英語研修講座」に参加して

中田正弘

 

間アメリカのミネソタ州マカレスタ大学で「英語研修講座」をうけてきました。

 

昭和62年7月21日から約一カ月間アメリカのミネソタ州マカレスタ大学で「英語研修講座」をうけてきました。

アメリカでは、教師は情報を生徒に与えるだけでなく生徒から反応を受けてお互いに学び合おうという姿勢が顕著に見られます。学校の成績評価にも生徒が授業中どれ位意見を述べるかという“Class Participation”が全体の30%〜40%を占めていると言われます。つまり意見を述べないと何も知らないと見なされ評価されないということで、自己主張する力がなければならないのです。日本には「以心伝心」という言葉がありますが、西洋では「以唇伝心」になることを要求されます。「アメリカに来ているのだから、アメリカ的なやり方に馴れなさい」と指導教官によく言われました。10人単位でディスカッションが毎日行われ「3秒間の沈黙は相手を不愉快にする」ということで3秒以内に自分の意見を英語で言わなければならず常に“Motor Mouth”になることを要求されました。しかし頭の中でまとめているうちにタイミングを失ってしまって発言できなくなってしまうことがたびたびありました。

ミネソタ州はどこまでも続く大草原で、一万以上もの湖をもつ風光明媚なところで、週末ともなるとカヌーを乗せたキャンピングカーに数多く出会います。ホストファミリーと共に湖のそばのサマーハウスに出かけて釣をしたり、カヌーにのったり、ハンモックに揺られて昼寝をしたりして一日中ゆったり過ごした思い出は忘れられません。明日の授業の予習のことが気になりながらも毎晩のようにジャズコンサートや料理を持ちよって開く“Potluck Party”等へ連れていってもらい寝るのが12時をいつも過ぎてしまいました。

朝食の時に小学3年生の娘さんのマリーがお母さんから“Orange juice or Grape juice?”勧められて“Grape juice”とだけ答えたために“Grape juice, what?”と聞き返され“Grape juice,please”と丁寧に答える表現を求められるテーブルマナーのやりとりがあり、子供のうちから躾に厳しくあたっている様子が窺えました。また日本では親が全てをお膳立てして、子供が自分の判断が出来なくなり親からの「指示待ち症候群」になりつつある中で、子供がいくらGrape juiceが欲しいとわかっていても子供自身に選択させて「自分の選択に責任を持たせる」テーブルでの親子の会話のやりとりはとても印象的で今でも鮮明に心に残っています。

語学研修最後の晩に“Japan Night”を開き指導教官やホストファミリーに日本の文化を紹介することになり、私は「剣道の形」を披露しましたが、大変興味を持ってくれ、今まで影の薄かった存在(?)が急に脚光を浴びたかのようにいろいろな人達にとりまかれて剣道のことをきかれる一幕がありました。剣道だけでなく日本舞踊・合気道・書道・日本の民話劇等の披露もされ、直に触れただけに彼等も日本の文化の深さに強いインパクトをうけたようです。勿論家に帰ってからもこの話でもちきりでした。ホストファミリーに一カ月間もお世話になりましたが、この制度は民間の人による「無償の奉仕」に支えられていること、「他人のためにどのように自分は役立つことができるか?」というボランテイア精神に大きな価値を置いていることにあることを知りました。お互いの国のこと、学校のこと、習慣の違いのこと等について夜を徹して話しあいました。生活を共にし全てにわたって“friendly”に接してくれたホストファミリーと別れるときに、“I will miss you, Masahiro”と泣きながら言われたのを今でも忘れることはできません。

(県立双葉高等学校教諭)

 

 

 


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