教育福島0167号(1992年(H04)11月)-023page

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随想

日々の想い

 

厳しさということ

行徳幸子

 

竄ェて意を決したように母が立ち上がったとき、Oさんが薬を持って入って来た。

 

看病のため、年末から年始にかけ病院で過ごしたときのことである。急患として女の子が入院して来た。女の子の泣き声が異様であった。白衣を翻して医師が足早に入って来た。聴診器を当てたり、脈を取ったりしていたが、「明日レントゲンを撮りましょう。痛み止めをあげます。痛い時は連絡して下さい。」そう言って若い医師は、すまなそうな顔をして何か言いたげな看護婦のOさんと共に部屋を出た。病棟に再びけたたましい泣き声が響いた。両親が不安にかられ、転院の相談を始め、やがて意を決したように母が立ち上がったとき、Oさんが薬を持って入って来た。

にこやかな顔で、「Aちゃん、痛くなくなるお薬よ。」「この子、薬は飲めないんです。」「じゃあ、お注射をしましょうか。」とOさんが言うと泣き声が一層大きくなった。Oさんが「お薬もお注射も嫌いなの。そんな我がまま言わないで、さあ飲みなさい。」と、先程のにこやかな顔からは、想像も出来ない程の威厳に満ちた声に、泣き声はピタリと止んだ。後で飲ませてくださいという母親の懇願を尻目に、Oさんは無理に薬を飲ませた。

「ほら、飲めたでしょう。やる気になれば何でも出来るのよ。迷惑だから、泣く時は声を出さないのよ。」と言って部屋を出た。不思議なことに、それ以来、七転八倒していた女の子の痛みが嘘のように取れ、自家中毒という病名を頂いて二日後に退院して行った。

「今の若いお母さんは、甘すぎるのよ。病院でこれなんだから、学校ではもっと大変ですね。しつけは厳しくしなくちゃ。」と私に話す彼女の自信に満ちた言葉に恥ずかしい思いをした。私も女の子の泣き声におろおろしていた一人だったのである。退屈な病院の中で、看護婦から冷静な状況判断と厳しさの大切さを教えられたことは、大きな収穫であった。

私のクラスに、先日足を軽く捻挫したN君がいる。みんなが親切にするのをよいことに、清掃をしない、忘れ物をするなど、好き勝手な行動が目立っていた。私は、「自分で出来ることは、自分でしなさい。清掃だって足をあまり使わないでできる仕事があるでしょう。」と厳しく言った。その後のN君の行動は一変し、何事にも積極的に取り組むようになった。Oさんから学んだ教訓を生かし、優しさと厳しさを適切に使い分けて、子供のしつけの指導に当たらなければならないと思っている。

(双葉町立双葉北小学校教諭)

 

忘れられない一言

西牧伸弘

 

烽、十二年も前のことですが)最初に受けた研修会で、こんなことがありました。

 

私が教師になって間もないころ、(今からもう十二年も前のことですが)最初に受けた研修会で、こんなことがありました。

確か、幾つかの分科会に分かれて、指導上の問題点や改善点などを協議した後、最後に一人一人が、これからの抱負を簡単に述べることになった時のことです。私は、その時の研修の内容についてはよく思い出せないのですが、自分の番になって何かを話した結びに、「生徒のために努力していきたいと思います。」と言ったことを覚えています。

すると、分科会の指導助言に当たっていた指導主事の先生が、私に「生徒のための努力と言いますが、結局はその努力は自分のためになるのだ

 

 

 


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