教育福島0167号(1992年(H04)11月)-024page

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ということを忘れないように。」という趣旨のアドバイスをしてくださいました。その時の指導の先生の表情は、意味ありげににこりとしたように私には思えたのです。

私は、そのの一言が、今でも脳裏から離れません。というのは、指導の先生の言葉が、私の思い上がりと欺瞞の心を見事に見透かしていたからです。確かに、私は全くの嘘で、「生徒のために」という言葉を口にしたわけではありませんでした。しかし、その研修会の数か月後、その言葉は、私の頭からすっかり消えていました。

当時、テレビでは“金八先生”のドラマが人気をよび、つっぱりがマスコミでもよく話題になっていました。私の学校も例外ではなかったのです。クラスをうまく掌握できぬ毎日に、自分が半ばかっこをつけて言った「生徒のために」という言葉が、いかに口先だけのもので、実が伴わないものであったかを痛感させられました。

指導の先生は、恐らく、このことを見越して私にアドバイスをしてくださったのでしょう。現場はそんなに甘くはない。そんな体裁やたてまえの通るものではないのだと……。毎日が挫折の日々、指導の先生のにこりとしたほほ笑みが何を意味するのであったのかが、まさに実感されたのでした。

今振り返ってみて「自分のため」という先生の言葉は、プロの意識を持て、という叱咤だったのではないかと思っています。自分は教師で飯を食っているのだという自覚、それが大切であり、この自覚があってこそ、生徒の指導も口先だけでなく実のあるものになるのだと。

日々の教育活動への努力は、自分のためになるのだと言うことをいつまでも忘れずに、おりにふれ自分を省みる指標にしていきたいと思っています。

(福島市立福島第四中学校教諭)

 

「先生、○○○いいですか」

土屋悦男

 

の音が響いている。九月二十八日は、今年で二回目の「全校造形の日」である。

 

校庭いっぱいに子どもたちの歓声と段ボールを切る金切り鋸の音が響いている。九月二十八日は、今年で二回目の「全校造形の日」である。

この行事は、「梅香レジャーランドを作ろう」というテーマのもとに、段ボールを主材料にして、探検迷路、乗り物、ゲームセンター、お化け屋敷などを半日かけて作り、午後は作ったもので遊ぶという行事である。

これは、新学習指導要領の実施に伴い、工作教育が重視されていたことや、全校一斉に活動でき、子どもたちが主体的に行えるものはないかということで考えだされた造形活動である。何を造るかの大まかな枠組みはあるものの、何をどのようにどんな材料を使うかなどは、一切子どもたちに任せ、教師は援助に徹するようにして、一週間程前から準備にかかった。

当日は、風が少しあるものの薄曇りの絶好の日和になり、子どもたちは喜々として活動を開始した。段ボールを積み上げ接着し、穴をあけてカラーセロファンをつけるなど、互いに協力しながら夢や願いの具現に向け、目を輝かせて活動している。何もしていない子はだれもいない。まさに主体的な姿といえるだろう。しかし、ある子どもたちの言動からほんとに主体的なのだろうかという疑問もわいてくる。「先生、○○〇いいですか」という言葉がたくさん聞れるからである。○○〇の中にはいろんな言葉が入る。「色を塗って」「棒を立てて」「紐をつけて」など、いわゆる教師の指示を得ないと行動できない子も多い。

発展、変化する二十一世紀に向けて、私たちは新しい指導観、学力観をしっかりとおさえ“心豊かでたくましい人間の育成”をめざした授業の実践が必要である。そのためにも子どもたちの学習への関心、意欲、態度などの主体的な学力を日頃から伸ばすための気配りとてだてが重要になってくる。

今の子どもたちには「指示待ち子」が多いといわれているが、このことは、教師への愛着と信頼の現れであるとも言える。私たちは、これらの子どもたちへの愛情を忘れず、自立できる基礎的な力や習慣を育てていかなければならない。

図画工作科でも主体的な態度を育成する指導法の研究が盛んに行われている。それと合わせて、普段の教師の行為や言動が子どもたちの「主体性」の芽を摘み取らないよう、そして、子どものよさを見極めるよう意識を新たにする必要があると考えているこの頃である。

(いわき市立平第二小学校教諭)

 

 

 


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