教育福島0168号(1993年(H05)01月)-029page
究発表会は、班ごとにテーマを選び話し合いを通して最終日に発表するものでした。私は、ちょうどこの研究発表会係でした。
はじめてのミーティングでは意見もあまり出されず、お互いの仲がギクシャクしていました。だれもが、はじめは戸惑っていたのだと思います。しかし、日毎に私たちの戸惑いもなくなってきました。それは、レクリエーションの中でのダンスやいろいろなゲームを通してお互いがわかってきたからだと思います。また、行動を共にしているうちに自分の考えを素直に相手に伝えられるようになったのだと思います。研究発表会の間でも自由に意見を出せる雰囲気になってきたのは、寄港地活動で大雨にあったとき、皆で傘もささずに歩いたり、夜遅くまで自分の悩みを打ち明けたりしてからのことでした。話し合いの中では、地域、校種、教科の区別をせずに意見を出し合ったので、対立することもありましたがとても勉強になりました。
私たちの班は、「自然と人間」について研究をしました。そして、学校教育の中で地域の実態を踏まえ、身近な問題を通して子供たちに何を教えていったらよいのかをパネルディスカッションの形式で発表しました。発表の前夜はなかなか意見がまとまらず、遅くまでミーティングが続きました。そして次の日の朝、班全員が五時に起床し、なんとか発表に間に合いました。
時間と距離を越え、地域と校種も越えて共に笑い、共に泣き、共に苦労した十日間は、いつまでも心に残ると思います。たったひとりでは何もできないかも知れませんが、多くの仲間が集まり、助け合っていけば、どんな困難にも立ち向かっていけると思いました。洋上研修で学んだことを今度は自分の学校に戻って、生徒といっしょに実践していきたいと思います。
(喜多方市立第二中学校教諭)
宮沢賢治の童話から
佐藤一男
『学者アラムハラドの見た着物』という童話をご存じでしょうか。
六年生の国語の教科書にある『やまなし』を書いたあの宮沢賢治のたくさんある童話の中の一篇です。ただ、この童話は、賢治が推敲と手入の果てについに完成することができなかった作品で、他の原稿とは別の押し入れの中から、死後に発見されたものだということです。それは、偶然の事情によるのかもしれませんが、賢治の特別の思い入れがあったようにも思えてなりません。
学者アラムハラドは、街はずれの柳の林の中で十一人の子どもたちを教えています。ある日アラムハラドは、子どもたちに次のような質問をします。「人が何としてもさうしないでゐられないことは一体どういふ事だらう。考へてごらん。」
まず大臣の子タルラが「人は歩いたり物を言ったりいたします」と答えます。アラムハラドは「よろしい。よくお前は答へた」と笑顔で言います。次にブランデという子どもが、「人が歩くことよりも言ふことよりももっとしないでゐられないのはいいことです」と答えます。この答えにアラムハラドは大変感激します。しかし、アラムハラドは、さらにセララバアドという子どもを指名します。すると小さなセララバアドは、「人はほんたうのいヽことが何だかを考へないでゐられると思ひます」と答えます。その答えにアラムハルドは思わず目をつぶってしまうという話です。
残念なことに、この先は原稿が残っておらず、賢治がこの童話で何を言いたかったのか、わたくしたちは知ることができません。
しかし、わたしはこのアラムハラドとその十一人の子どもたちの授業を想像すると、何とも嬉しくなり、そして勇気づけられるような気がするのです。
もちろん「いいこと」をしないでいられない子どもを育てることが、大切なことは言うまでもありません。しかし、社会の変化が厳しく、さまざまな情報が飛び交う今日、「何が本当にいいことなのか」を考え続け、問い続けられる子どもを育てることはさらに大切なことのように思えてなりません。そして、それは教師がどんな問いを発することができるかということにかかっているのではないでしょうか。
日々の授業に追われるあまり、ついたくさんの言葉を並べてしまいがちなわたしに、「問い」の大切さを思い起こさせてくれるこの童話が、わたしは何とも言えず好きです。
(岩代町立小浜小学校教諭)