教育福島0169号(1993年(H05)02月)-017page

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随想

日々の想い

 

登山から見た宗教社会

佐々木健臣

 

なのかどうか、私にとっては、なかなか理解しかねる部分が多いところである。

 

東西二大勢力の冷戦構造が無くなった途端に吹きだしてきた民族紛争や宗教紛争は、幾度となく抗争の悲劇を歴史的に積み重ね、知性も文化も発達した近代社会にとってしても終局的には、こうした力と力による紛争に至ることが必要悪なのかどうか、私にとっては、なかなか理解しかねる部分が多いところである。

私は、以前にアフガニスタンでの三ヶ月間にわたる山旅で多くの人達と接してきたが彼らの生活規範は、全て回教の教えによって規制されており、学校においても宗教の科目は大事にされ、教科書には、アラーの教えは勿論、礼拝の仕方まで事細かに書かれてあった。役所のお役人も時間になると一斉に仕事を止め、メッカに向かって礼拝を、バスの運転手は車を止めて道端で、我々の雇ったポーター達も出発の合図をするたびに長々とお祈り、こんなことを一日に五回もやられると時間稼ぎだろうと腹立たしくもなってくるが、夕日に向かって朗朗と響くコーランのなかで熱心にお祈りをしている彼らの姿を見ていると、こうした悠久の時間の流れの中で、ゆったりと生きていく方が幸せなのかも知れないといつしかそう思う様になっていた。

また、女性はチャドルを頭からすっぽりかぶり、顔を見せないというよりは、成人の女性の姿を見かけることは少なかった。これは、夫以外の男性には、絶対に肌を見せてはいけないという厳しい戒律があって、残念ながら目の保養は殆どできなかった。ただ、富める者は貧しき者に与えよという教えの拡大解釈か、または子孫繁栄のためか、力があれば法的にも四人迄は妻を持てるのだそうで、それが男のかい性とはどこかの国でも聞いたような気がするが、ポーターの親方は、立ちよる先々の部落に妻子がいたのには感心した。

治安については中央政府の行政が行き届かないせいもあってか彼等は貧しい生活ながら自衛のためにライフルやピストルを持っており、ターバンを巻き、ライフルを背にさっそうと馬にまたがって谷間を駆け抜けて行く姿は、まさに誇り高き騎馬民族であった。かつてソ連が七年間にわたって占領を試みたが果たせず撤退して行ったがアフガンの地形と彼らの行動力から当然のことと思われた。ただ、残念なことには、ソ連の撤退後、そのままゲリラの派閥抗争に発展、いまだに内戦が続いていることである。

話は変わるがインドヒマラヤのバギラッティ1)峰(六八五六m)にアタック、未踏の北稜ルートからの登頂に成功したが、この山名の由来は、天界の聖なるガンジスの流れを下界に降下させるようシバ神に願い出てそれを実現させたという伝説の王バギラッティの名を取ったものだそうで、また、そのベースキャンプの対岸には、槍の鉾先を天空に突き刺したように鋭い山容のシブリン(六五八四m)がそびえ、多くの神々の頂点にあるシバ神の座としては誠に相応しい威厳を持った山である。この二つの山の間に懸かるガンゴトリ氷河の末端から轟音とともに吹きだしているのがガンジスの流れであり、聖なるガンジーの原点であった。

救いのないカースト社会の中で、来世の幸せを願い、聖なるガンジス川で沐浴することで神に近づき、さらに死者の灰をガンジスの流れに撒くことによって魂は天界に戻ってゆくいわゆる輪廻の思想から、ガンジス川の各所には聖地が点在し、そこには大きな沐浴場があって、何百何千という人達が集まり、川の中で熱心にお祈りをしている光景は、異様というより圧倒的であり、信じることの壮大さを感じた。

中近東からアフガン、パキスタンまでイスラム、インドはヒンズー、バングラディシュは仏教と色濃く塗り分けられているが、インドには二割近くのイスラム教徒がいると言われ宗教上の紛争が絶えない。

 

 

 


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