教育福島0170号(1993年(H05)04月)-023page

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随想

日々の想い

 

大海の出会いから

学んだもの

赤塚菜穂子

 

らしい順応性・適応性、さらに限りない未知なる力を感じることができました。

 

三月二十五日午後三時、小名浜港出航。紙テープをにぎりしめ涙ぐむ子、港に向かって大きく手を振る子、初めて出会う子供たちの顔はどれも不安一色でした。「おかあさん」船が動き出した時、そんなつぶやきが聞こえたのを覚えています。今回、私はテレビ局主催によるグアム・サイパン旅行に「音楽指導教員」として乗船しました。五百人余りの子供たちと共に十日間を過ごした中で、子供たちのすばらしい順応性・適応性、さらに限りない未知なる力を感じることができました。

新採用として教職についてから早一年。ふり返ってみると二十八人の子供たちに囲まれながら、無我夢中で突き進んだ一年だったような気がします。全く白紙の状態で飛び込んだ私に、子供たちはいつも優しく、たくさんのことを教えてくれました。そんな温かさに支えられてやっとやってこれた自分が「指導教員」という立場で参加するということで、胸の内は子供たちに負けないくらい緊張と不安が入り交じっていました。子供たちも普段の生活からはかけ離れた集団の中で、自分を出しきれず固く緊張していたようでした。

そんな中、二日、三日と日を重ねるうちに、緊張しきった子供たちの顔に笑顔が見られるようになってきました。船酔いで苦しむ友達におかゆを運んだり、励ましの言葉をかけたりと次第にその距離が縮まっていき、お互いに名前を呼び合ってじゃれあう姿もみられるようになったのです。グループの中でも年長者がリーダーとなって班をまとめ、一致団結して活動に取り組むようになりました。私はこんなに短期間のうちに、自然とそのような関係を創り上げてしまう子供たちに驚きを感じると共に「活躍の場」を与えることによって自分の役割を自覚し、力を発揮するのだということを改めて強く感じました。

この一年「共に学び、共に遊ぶ。」という信念のもとで子供たちと関わってきたつもりですが、今回の体験を通して、子供の限りない可能性と、それを引き出すための教師としての関わり方、「活動の場」を与えることによって子供自身の内面にある未知なる力を発揮させることができるということを身をもって学ぶことができました。今後はこの体験で得たことを教職に生かし、自主性豊かな児童の育成に努力し、励んでいきたいと思います。

(郡山市立芳山小学校教諭)

 

「吹く風を…」

高橋琢弘

 

吹く風を勿来の関と思へども

 

吹く風を勿来の関と思へども

路も狭に散る山桜かな

これは、前九年・後三年の役の後八幡太郎義家が、都へ帰る途中に、この地を通りかかった折に詠んだ歌で、地元でも非常に親しまれております。又、奥州三関の一つとして古来文人墨客の訪れも多い所です。この歌に惹かれて勿来の関を訪れた人がまず目にするのは、木々の彼方の太平洋の茫洋とした広がりで、山路と古色蒼然とした関跡を想像していた目には、大海原を配した明るい開放的な風景は、ある種の戸惑いを感じるのではないでしょうか。

ところで、海の色は季節・時間・天候によっていろいろに変化してゆきます。夕日を浴びたときの燃える

 

 

 


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