教育福島0170号(1993年(H05)04月)-029page

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見せているサイエンスシアターという一角がありました。私達は「あの平工業高校の鈴木君が出てくるぞ!!」と楽しみにしていました。ところが、化石の発見者は小学校一、二年生位の男の子にされていました。

国立博物館と科学博物館では展示の仕方に大きな差があります。国立博物館では見学者が、その道の専門家、一般の大人、中学生、子供等一切関係ない展示の仕方であるように見えます。一方、科学博物館の方では、古代から宇宙に至るまでのさまざまな分野に分けられた展示が、子供たちの興味を引かせ、さらに発展されるような工夫が随所に見られ幼児から大入まで楽しめる展示になっています。

しかし、あのフタバスズキリュウ物語を館内で見る人には発見者について知っている人もいるでしょうし、又全く知らない人もいるでしょう。知っている人は「高校生のはずなのに、どうしてこんな子供が出てくるのだろう、おかしいな。」という不審を抱き、知らない人は「へえ、フタバスズキリュウを発見した人は、こんな子供だったのか」と思い込んでしまうかも知れません。科学博物館の″ねらい″は、実はここにあるのでしょうか。「子供でもこのようにすごいものを発見できるんですよ。」と見ている子供たちに大きな夢を与え、先ず興味を抱かせるという…。

考古学的なものや科学的なもの、ましてやその展示の仕方について私は、全くの素人ですから国立博物館と科学博物館のどちらの展示がいいかなどはわかりません。それなりに良いとは思うのですが、科学博物館で見たあの中には、見学者である子供の興味・関心を引かせることのみに意がそそがれているような気がしてなりませんでした。

子供だから、子供の時期だからこそ私達大人は本当の事を教えなくてはならないと思うのです。それは学問でも躾の面でも言えるのではないかと考えさせられた一日でした。

(小名浜市立小名浜第一中学校教諭)

 

若い先生に思う

荒哲也

 

だろう。失敗をするたびに二十五年も前の附属中学校での教育実習を思い出す。

 

「先生の説明が早すぎるときがあります」と生徒に指摘され、冷や汗をかいたことがある。かなり気を配っていたつもりでも、つい地が出てしまうのだろう。失敗をするたびに二十五年も前の附属中学校での教育実習を思い出す。

指導案を何度書き直しても「ステップが粗い」「なぜ、このような活動が出てくるのか」「なぜ、この場面でこの教材を使うのか」等々、厳しい指摘を受け、突き返される。これでもか、これでもかと書き直して夜の八時過ぎになってやっとOKが出たこともある。授業中あわててミスをすると容赦なくストップがかかる。

今でも板書をしながら説明をしていると「生徒に背を向けて説明するな」というH先生の声を思い出してはっとすることがある。今だにH先生の教えを全うできないとは恥かしい限りであるが、今思うと貴重な体験をさせていただいたと思っている。

最近若い世代の先生方が増えてきており、優秀で素晴らしい実践力を持っている方が多く見受けられる。

しかも、初任者研修制度で一年間、教育活動の全領域にわたり実地に研修できる。我々が二十余年もかけて蓄積してきたエキスを短期間で吸収してしまうのだから、うらやましい限りである。実際に授業を見せてもらっても一年間の進歩は著しい。私の新卒時など遠く及ばないほど立派なものである。私にも長年の経験という強みがあり、色々目につくところもあるが″きらり″と光るものを感じる先生にめぐり合った時など、心が躍る思いがする。

自分にない才能のようなものに遭遇するとかなりの衝撃を感じる。人それぞれに持ち味があるが、自分の指導法改善のために取り入れるだけの謙虚さと柔軟性は失いたくないと思っている。

幼児体験ではないが、教職においても、若い時代にいかに学び研鑽し自分を鍛えるか、いわば意識の中に刷り込むかが教師としての将来を決する大きな要因ではないかと思う。

鍛練不足だった私と違い、現在の若い先生方はしっかりとした基礎ができているので大いに期待ができると思っている。

今年は一年生の教科を担当することになった。気分も新たに、若い先生方に負けないように生徒たちに力をつけてやりたいと思っている。

「学(がく)は以(もつ)て已(や)むべからず」

私は教師である限り、この格言をモットーとし、少しずつでも向上できるよう努力していきたい。

(伊達郡桑折町立醸芳中学校)

 

 

 


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