教育福島0171号(1993年(H05)06月)-006page

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提言

 

学校教育と演劇

日本演出者協会会員

中城 まさお

 

ど諸説がありますが、演劇が「遊び」からはじまった事は間違いなさそうです。

 

英語のプレイ、フランス語のジュー、漢字の戯、どれも「遊び」を意味する言葉がそのまま「劇」の意味に使われています。演劇の源流は神に祈る儀式に発するなど諸説がありますが、演劇が「遊び」からはじまった事は間違いなさそうです。

私たち劇団は学校の生徒さん方を観客にして劇を観て頂く事が多々あります。その時によく感じる事は、お世話役の先生方で、劇の内容の教訓面を最重要視なさるかたが非常に多いという事です。大抵の場合、通常の授業時間をつぶして観劇して下さるわけですから、授業の単元に相当する見えやすい教育的効果を求められるのは当然ですし、私たちもなるべくそういう説明のつきやすい劇を選んで観て頂きます。しかし、かりにここでフランスのモリエールの書いた「スカパンの悪だくみ」という劇を演じたとします。三百年前のパリの観客と同じように生徒さんがたはよく笑い、次の展開を期待し、ハッピーエンドで幕が降りると盛大に拍手をしてくださいます。そのあとでもし感想文を書いて頂くとなると、その受けとめかたは実に多岐にわたっています。つまり一言で言い表わされる教訓が見えにくかったという事になりそうです。

その中で、私たちが読ませて頂いて「ああ、やった甲斐があったな」と思うのはたとえば次のような文章です。「とにかく楽しかった」「たくさんの言葉を次々にくり出す迫力に感心した」「自分たちもあのように動きまわり、あのように大声でしゃべたりくなった」「主人公はいい奴か悪い奴かわからなかったが人間のバイタリティを感じた」その他です。いい人間

 

 

 


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