教育福島0171号(1993年(H05)06月)-029page

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心に残る生徒

佐藤  正

 

堂の仕事も手伝わなければならず、自分の時間がなかなか持てない状況だった。

 

十五年前になるだろうか。中学三年生を担任した時の生徒の中に、M子がいた。M子の家は、小さな食堂を営んでおり、二歳になる弟がいた。夕食時になると、両親は食堂での仕事に追われ、M子は、夕飯の仕度と弟の世話を強いられていた。そして忙しい時には、食堂の仕事も手伝わなければならず、自分の時間がなかなか持てない状況だった。

そんなM子が、家庭訪問を前にした調査で、一番難しい高校への進学を希望してきた。二年生までのデータからは、とても目標を達成できる位置になかった。しかも、M子の家庭環境から考えても、それは夢としか思えなかった。家庭訪問では、親にM子の希望を話し、その目標実現のために、家での仕事の量を減らすように頼み、M子には、毎日努力することの必要性を話した。しかし、家庭でのM子の仕事は減るどころか食堂の手伝いと、弟の世話に追われる日々が続いていた。M子はそんな厳しい環境にもめげず、私との約束を守り、夜の十時、十一時から勉強を始めるのが日課になっていた。

夏休みが終わる頃までは、さほど学習効果がみられなかったが、九月頃から変化がみられはじめた。十二月になると、まだ、安全圏とはいえないが、学力がかなり向上してきた。だが、一月の三者相談では、母親は不安に堪えきれず進路の変更を言いだしてきた。私は、M子の今までの努力と進歩の状況を話し、きっと目標を達成できると、母親の前で断言してしまった。正直なところ、それから合格発表の日までは、毎日が心配だった。しかし、M子は、残された二ヶ月を、自分の掲げた目標に向かって、眠る暇も惜しんで頑張り、友達にも励まされて、とうとう栄冠を得たのである。

教職を長く続けていると、似たような経験は、誰しもあると思うが、私は、M子との出会いから、「人間は、どんな厳しい環境におかれてもやればできる。」ということを学んだ。それからの私の教育信条は、大きな確信のもとに、「どんな生徒でも、能力は伸ばせるし、伸ばさなければならない。」という信念で、生徒を指導してきたように思える。

教頭になって、今、感じることは教頭としての職務を全力で果たすことは、勿論であるが、人間の可能性を信じ、いつもの生徒の立場に立って情熱を燃やして指導できる教師を一人でも多く育てていくのも、私に課せられた大きな使命であると考えている。

(いわき市立石住小学校教頭)

 

ある「若者用語」から

郡司長之

 

疑問だが、この話は近年の日本語事情を象徴しているようで実に興味深かった。

 

一昨年だったか、広辞苑に「ださい」(田舎っぽい、格好悪いなどの意)という若者用語が収録されたと聞いた。この俗語がそれほど人口に胎夫しているのかどうか私にはやや疑問だが、この話は近年の日本語事情を象徴しているようで実に興味深かった。

「ださい」を辞書に載録することの是非は別としても、現代語について考える時、若者用語の存在を無視することはできないであろう。学校でも、生徒間の会話は勿論のこと、授業においてすらそれらの言葉は顔を覗かせているのだ。このような若者用語の氾濫を「日本語の乱れ」として批判的に見る向きもあるようだが、言葉が時代を映す鏡である以上、これだけ多様化した現代にあっては当然の現象といえるのかもしれない。

ところで、若者用語を自在に操って普段楽しそうに話をしている生徒が、原稿用紙を前にするとなぜか途端に筆まで無口になることがある。私はそこに、彼らが新語を生み出す心理的要因を嗅ぎとるのである。それはつまり、既存の言葉を的確に使いこなせないために、苦し紛れに感覚的な造語に依存したがるということだ。若者用語は俗語であり、公的な場面では使えないということを生徒は生徒なりに認識しているからこそ彼らの筆は捗らないのだろう。

先日の小説の授業で、その巧みな表現に感動したある生徒がこんな感想を漏らしていた。「こんなに上手に自分の思ったことが全部言えたら気分いいだろうな。」と。しかし、名文

 

 

 


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