教育福島0171号(1993年(H05)06月)-028page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

は感激した。

クラス担任をしていなかった私は、彼女が小学生の時に両親を相次いで亡くし、祖母、兄、妹との四人暮しであったことを知ったのは、それから数年後のことであった。

自分の寂しく、悲しい境遇にも負けず、自然の豊かさと優しさを与えてくれた生徒。彼女こそ励まされる立場にあったのにと、私は胸をあつくせずにはいられなかった。「教師は、生徒を理解することが大切だ。」と言われる。行為や言葉の奥にある生徒の姿をも、見ぬく目をもたなくてはならない。また、人は、どんな境遇にあろうとも、美しい心を育てることができるということを、この時私は学んだ。

やがて、成長した彼女は、松虫草の咲く頃、地元の青年の所に嫁いでいった。年老いた祖母の手に引かれて、披露宴に入場してきた花嫁は、とても美しかったそうだ。

「蒔けば萌え、蒔かねば萌えぬものなれど、物言はねども、種は正直」

教師であった父が、退職間際に、流紋焼きの絵付け茶腕に書いていたこの言葉を、今しみじみと思う。

私たちは、種蒔き人。中学時代という多感な生徒たちの心に、人として生きるための種を、教育活動を通して蒔き続けなければならない。また、生徒たちの心の中に、すでに蒔かれている種の芽を、萌え出させる援助をしなければならない。

新しい学力観に即した指導、偏差値教育の是正など、今の教育界には課題が山積みしている。しかし、どんな時代になろうとも、私は常に、「人間としての生き方」を生徒とともに語り合える一人の教師でありたいと思う。

(石川町立石川中学校教諭)

 

我が子の誕生に思うこと

柏村孝志

 

「女のお子さんですよ。」

 

「女のお子さんですよ。」

医師のはずんだ声が、それまで緊張で張りつめていた分娩室に響き渡った。我が家に待望の第二子が誕生た。第一子の長女の誕生から五年がたっていた。長女の誕生の時には、出産に立ち会うことができず、生命の誕生の瞬間を共に迎えることがなかったが、今回の出産に際しては、以前から立ち会うことに決めていた。

陣痛は早朝から始まり、額に汗をにじませながら間近に迫る出産という大仕事のために、苦痛に耐えている妻を見て、自分も、ついつい体全体に力が入ってくるのを感じた。午前八時十七分、元気な産声(うぶごえ)をあげて二女が誕生した。これまでの妊娠中の苦労がいっきに報われるのを、この時、夫婦共々感じた。看護婦が慣れた手つきで赤ちゃんを入浴させ、ていねいに体を洗い、私たちの所へ連れてきた。母親の胎内から出て、自分の力で懸命に呼吸を始めた我が子を目の当たりにして、生命誕生のすばらしさ、偉大さを実感した。また、この小さな生命に対して、限りないいとおしさを感じ、元気に成長して欲しいという願いを強く持った。それが、今年の一月の事である。

それから、二女は何事もなく、すくすくと成長している。二人の子どもの親となって、その成長を見守るにつけ、クラスの子ども達の親の願いも、以前にも増して、ひしひしと伝わるのを感じた。しかし、この子供たちの生きていく将来を考えると、必ずしも明るい材料ばかりとはいえないのが現実である。まず、心についての問題である。物質的に恵まれ、何不自由ない生活の中で、自分のまわりに対して、感謝の心や思いやりの心が希薄になり、自分さえよければという利己的な風潮が社会全体に広がっていること。次に、私たちを取り巻く環境についての問題である。身近なごみの問題や家庭からの排水による水質汚濁など。そして、地球の温暖化、オゾン層の破壊、酸性雨など、地球規模の環境問題がそれである。

今私たちは、これらの問題に対して真剣に受けとめ、子供たちの将来を、安全で過ごし易い環境とするためにも、一人一人が自分にできることから積極的に取り組んでいかなければならない。そして、同時に、子供たち自身にも、これらの問題を真剣に考えさせていくことが大切なことであると思う。--教師として、自分にできることは、このことではないだろうか。

今回の我が子の誕生を通して、親としての責任、そして、教師としての使命感を強く持った次第である。

(鏡石町立第二小学校教諭)

 

 

 


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は情報提供者及び福島県教育委員会に帰属します。