教育福島0171号(1993年(H05)06月)-049page

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美術館だより

「バルビゾン派と日本」展

「バルビゾン派と日本」展

−ミレー、コローから近代日本の洋画家たちへ−

19世紀半ば、パリ郊外フォンテーヌブローの森の一角にあるバルピゾン村に集い、美しい自然とそこに生きる人々や動物の姿をありのままに描き出していったバルビゾン派の画家たち。その中でもミレー、コローらの名は私たちにとって親しみ深いものとなっています。

日本に彼らの芸術がもたらされたのは、明治九年、パルビゾン派の影響を受けたイタリア人画家アントニオ・フォンタネージが来日し、工部省付属の美術学校で本格的な洋画教育を始めてからのことです。高橋由一、浅井忠などの教え子たちは、フォンタネージの話や模写の授業で使われた複製版画の教材を通してバルビゾン派を初めて知りました。時が下ると、ミレーを中心としたパルビゾン派は、美術雑誌、画集、伝「記などで相次いで紹介され、日本に広く浸透していきます。また、黒田清輝を筆頭に、和田英作、浅井忠、児島虎次郎など多くの日本の画家たち、がフランスに留学するようになり、パルビゾン村近郊のグレー村に、まるでバルビゾン派の画家たちのように集まって風景画の制作に励みました。

この展覧会では、明治以降今日にいたるまでに日本にもたらされたバルビゾン派の作品とともに、フォンタネージと、彼の教え子である高橋由一、浅井忠らの作品や、黒田清輝、和田英作らグレーに集った、画家たちの作品、そして、バルビゾン派の絵、画を模写した作品など、「白点余りを一堂に展観し、バルビゾン派が近代日本の洋、画に与えた様々な影響を見ていきたいと思います。

▲高橋田一「粟子山隧道図」(西洞門図・大)1881年

▲高橋田一「粟子山隧道図」(西洞門図・大)1881年

▲ジャン問フランソワ・ミレー「種をまく人」

▲ジャン問フランソワ・ミレー「種をまく人」

1850年

▲黒田清輝「クレーの水車場」1890年

▲黒田清輝「クレーの水車場」1890年

▲カミーユ・コロー「小さな水門のある草原」1855−60年

▲カミーユ・コロー「小さな水門のある草原」1855−60年


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